二里頭文化
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二里頭文化(にりとうぶんか、二里头文化、拼音: , Erlitou culture, 紀元前2100年頃-紀元前1800年頃または紀元前1500年頃)は、中国の黄河中流から下流を中心に栄えた新石器時代から青銅器時代初期にかけての文化であり、都市や宮殿を築いた。殷初期と考えられる二里岡文化に先行する。
- ^ 新砦遺跡では、都城・城壁の跡が発見され、二里頭遺跡の宮殿に先行する時期であることも確認されている。
- ^ a b c d e 落合 2015, p. 16.
- ^ [1]
- ^ 李学勤『中国古代漢字学の第一歩』凱風社
- ^ 中国社会科学院考古研究所洛陽発掘隊「河南偃師二里頭遺址発掘簡報」『考古』1965-5
- ^ ただし、文献に残された夏王朝や商王朝の王名などを示す文字資料がまだ発掘されていないため、どの王朝の遺跡であったかはまだ定まってはいない。
- ^ 北京大学副教授 劉緒・徐天進「三代文明の探索」『中国の考古学展』平凡社 1995
- ^ 河南省文物考古研編集『華夏考古』1991-2。なお1987年の時点では三期までを夏としていた。『華夏考古』1987-2号。
- ^ a b “二里頭夏都遺跡博物館が開館 「最古の王朝」の神秘の姿が明らかに”. www.afpbb.com. 2020年7月9日閲覧。
- ^ a b c d 落合 2015, p. 18.
- ^ 落合 2015, p. 19.
- ^ 徐旭生『中国古代史の伝説時代』
- 1 二里頭文化とは
- 2 二里頭文化の概要
- 3 発掘研究史
二里頭文化
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二里頭文化(紀元前2000年?~紀元前1600年?)は1959年、河南省偃師県二里頭で発見された。 遺跡は約二キロ四方で、中心部には二つの宮殿跡がある。この遺跡の人々は、晋南豫西龍山文化・河南龍山文化を継承し、青銅鋳造の技術を持っていたと考えられている。
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