二里岡遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/11 13:40 UTC 版)
二里岡遺跡は鄭州市で1951年に発見された。 中国の考古学者は、鄭州付近を商(殷)王朝の初期の中心地と考えており(殷後期の甲骨文占卜に記された建国者天乙の亳)、二里岡文化を商王朝の初期段階ととらえている。一方、欧米の考古学者らは、安陽市で発見された殷後期の殷墟とは異なり二里岡からはほとんど文字資料が出土していないため、二里岡を商と結びつけることには慎重である。 二里岡遺跡は周囲約7kmの城壁に囲まれた都城で、城壁の外に骨器や陶器を作る大きな工房群が位置していた。工房の中には、二つの青銅器工房も含まれている。二里岡遺跡のほとんどは現代の鄭州市街の下にあるため発掘が困難である。このため、二里岡文化についての研究は二里岡遺跡以外の場所での発掘によるところが大きい。
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