発掘研究史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/19 14:50 UTC 版)
1952年に河南省登封市の玉村遺跡が発見された。現在ではこれが最初に見つかった二里頭文化の遺跡と見られる。 1956年には鄭州市で洛達廟遺跡が発見され、この遺跡の発掘物の類型は「洛達廟類型」と名づけられていた。 1959年に考古学者の徐旭生が河南省偃師県で二里頭遺跡を発見し、さらにはっきりとした典型例が見つかったことにより、この種の類型は「二里頭文化」と呼ばれるようになった。二里頭文化は、先行する龍山文化から発展したとみられる。 1981年から北京大学が豫北の新郷と安陽地方を調査し、修武李固・温県北平皋・淇県宋窯遺址を発掘した。 1984年から北京大学が魯西南菏沢地方・豫東商丘地方を調査し、菏沢安邱堌堆・夏邑清涼山遺址を発掘した。 2019年、「二里頭夏都遺跡博物館」設立。
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