発掘調査および文化財指定の歴史
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「朝日遺跡」の記事における「発掘調査および文化財指定の歴史」の解説
1929年(昭和4年)11月~12月頃、加藤務(津島高等女学校教諭)により貝殻山貝塚を発掘。12月18日に名古屋新聞紙上に発掘調査結果を発表。 1929年(昭和4年)12月24日、鳥居龍蔵博士(東京帝国大学)が、貝殻山貝塚と近隣の検見塚を発掘。鑑定の結果、弥生式の遺跡であることが明らかになる。博士はこの2つの貝塚について「貝塚の上が古墳になっている」と、古墳説を展開(検見塚については、今も古墳説が唱えられる)。 戦後、貝殻山貝塚周辺の貝塚や集落跡の調査が盛んになり、「朝日遺跡群」と呼ばれるようになる。 1971年(昭和46年)、貝殻山貝塚周辺の約1ヘクタールが国の史跡に指定され保存された。 名古屋環状2号線(国道302号)・東名阪自動車道(現在の名古屋第二環状自動車道)の建設に伴って遺跡調査が始まり、それまで「朝日遺跡群」と呼ばれていた当遺跡が、ひとつの大集落としての朝日遺跡と呼ばれることとなった。 1995年(平成7年)・1996年(平成8年)の貝殻山貝塚南側の発掘調査により最古段階の弥生土器(遠賀川系土器)が出土した。 現在も[いつ?]発掘調査は進められている。特に、名古屋市市営住宅の建て替えに関連した調査が行われている。 2012年(平成24年)9月6日付けで出土品2,028点が国の重要文化財に指定された。それを受けて2013年(平成25年)3月20日より同年5月19日まで、愛知県と清須市が合同で、貝殻山貝塚資料館での出土品展示会、市内各施設での講演会、スタンプラリーなどを実施した。
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