発掘調査と出土遺構・遺物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 15:58 UTC 版)
「天狗沢瓦窯跡」の記事における「発掘調査と出土遺構・遺物」の解説
甲斐市天狗沢地区においては昭和戦前期から古代瓦の表面採取が報告されており、旧敷島町時代の1986年(昭和61年)には当地での桑畑改植の際に軒丸瓦など大量の古代瓦が発見され、県内におけるはじめての白鳳期瓦窯跡の発見となった。翌1987年(昭和62年)5月から3次にわたり敷島町教育委員会(現在の甲斐市教育委員会)による発掘調査が実施され、帝京大学山梨文化財研究所において出土遺物整理、遺物の自然科学的分析などが行われた。 遺構として3基の窯跡と5本の溝址、窯跡全体を取り巻く大溝や遺物の集中する方形竪穴状遺構などが発見された。3基の窯はそれぞれ形態が異なり、出土した瓦の文様や須恵器の検討から数10年単位で時間差があり、1号窯→3号窯→2号窯の順列が想定されている。なお、1号窯と3号窯は同時期に操業していた期間があったと推定されている。 1号窯は全長9メートル、幅80~90センチメートル。傾斜地をトンネル状に開削し、焼成部である床部には瓦を並べる7段の階段が設けられた地下式有段登窯。遺存状態は良好で、天井と煙道部分は崩落しているが、焼成部と燃焼部、灰原が良好な状態で現存している。窯の周囲には逆U字の溝や水抜き孔が確認され、内部からは瓦や須恵器などの遺物が出土しており、瓦陶兼業窯であったと考えられている。 2号窯は1号窯の西側に位置し、1号窯とは年代差があり、1号窯周囲の溝を埋め立てた上に造成されている。2号窯は全長3メートル、幅1.8メートルの半地下式登窯で、天井や壁体部分は削平されている。2号窯出土の平瓦外面叩目は格子状で、板目の1号窯との時間差が認められる。 3号窯は1号窯の北東に位置し、全長5.3メートル、幅1.2メートル、半地下式の登窯で階段は無い。天井や壁面は削平されているが、灰原の排水遺構が残る。床面からは瓦や須恵器が出土している。また、窯場全体を区画する大溝は幅2.4メートル、深さ0.9メートルのv字形をしており、3号窯の操業以前に開削されたものであると考えられている。 出土した軒丸瓦の瓦当文様は周縁部が素縁の凹弁タイプ(a范)と、周縁部が有段の平弁タイプ(b范)の二種があることが指摘される。両者は隆線で蓮華文の花弁を区画する特徴が共通することから本来は同范であり、a范からb范への改変が行われたと考えられている。 a范の瓦当文様や製作技法は長野県安曇野市明科に所在する明科廃寺や岐阜県飛騨市古川町杉崎に所在する杉崎廃寺から出土した古代瓦との類似性が指摘される。祖型は近畿地方に求められており、滋賀県大津市に所在する衣川廃寺のモチーフが明科廃寺・杉崎廃寺の東山道ルートを経て天狗沢瓦窯へ到達したとする説がある。 古代甲斐国においては、甲斐国府(前期)の所在地である山梨郡にあたる笛吹市春日居町の寺本廃寺や、笛吹市一宮町国分の甲斐国分寺・国分尼寺の出土瓦とも異なる様式であることが指摘されている。
※この「発掘調査と出土遺構・遺物」の解説は、「天狗沢瓦窯跡」の解説の一部です。
「発掘調査と出土遺構・遺物」を含む「天狗沢瓦窯跡」の記事については、「天狗沢瓦窯跡」の概要を参照ください。
- 発掘調査と出土遺構・遺物のページへのリンク