発掘調査と出土遺物
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「王塚古墳 (中央市)」の記事における「発掘調査と出土遺物」の解説
後円部は盗掘を受けており、のちの調査で竪穴式合掌形石室であることが判明した。1930年(昭和5年)に発見され、仁科義男により発掘調査が行われる。本古墳は、1970年(昭和45年)に豊富村の文化財に指定され、現在は中央市の市指定文化財となっている。 副葬品として剣・刀・鉄鏃などの鉄製武具、短甲(胸背部)・馬具・円筒埴輪を出土している。なお、東京国立博物館には、豊富村出土と伝えられる「衝角付冑」が収蔵されている。 王塚古墳からはf字形鏡板板付轡が出土している。山梨県内では曽根丘陵の中道古墳群に属するかんかん塚古墳において5世紀後半の馬具が出土しており、これが最古の馬具とされる。王塚古墳からはこれ次ぐ5世紀後半代の金銅製馬具が出土している。5世紀代の馬具として大塚古墳(市川三郷町)から出土した鉄製楕円形鏡板付轡・鉄製剣菱形葉がある。 山梨県では甲府市塩部の塩部遺跡や甲府市下向山の東山北遺跡から出土した馬歯の存在から、4世紀後半から4世紀末にかけて馬が渡来したと考えられている。古墳時代の山梨県では、甲斐銚子塚古墳が築造された曽根丘陵において5世紀初頭の丸山塚古墳を最後に大型古墳の築造が停止し、曽根丘陵以外の地域で中小規模の古墳の築造が開始されていることから、ウマが導入された4世紀後半・4世紀末から、馬具が出現する5世紀後半までの時代にかけて、社会的変動が生じたとも考えられている。
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発掘調査と出土遺物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 13:12 UTC 版)
第1次調査 1975年(昭和50年)。 第2次調査 1976年(昭和51年)~1977年(昭和52年)。 第3次調査 1980年(昭和55年)。当年の調査の結果、前方部から多数の鉄製武器類が出土している。前方部に墳丘の主軸に並行して、長さ6.6m、幅0.9mの木棺状の副葬品埋納施設が検出され、鉄刀、鉄鏃など総数700点以上の鉄製武器類が出土して注目を集めた。古墳は調査翌年の1981年(昭和56年)に国の史跡に指定された。その後の調査で、東西の造り出し部から蓋(きぬがさ)、家形、水鳥などの形象埴輪が出土している。なお出土遺物の一部は財団法人長岡京市埋蔵文化財センターに展示されている。 第4次調査 2003年(平成15年)。 第5次調査 2004年(平成16年)。 第6次調査 2005年(平成17年)。
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