発掘調査と史跡の復元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 04:46 UTC 版)
昭和51-52年(1976年-1977年)に、東北自動車道建設にともなう岩手県教育委員会の発掘調査中に築地塀や大溝、竪穴式住居跡が発見され、その後の範囲確認調査の成果を受け、1984年に「志波城跡」として国の史跡に指定された。『日本紀略』延暦22年(西暦803年)条初見の志波城の所在地は諸説あり、長らく不明であったが、太田「方八丁(ほうはっちょう)」という地名が八町四方の外郭を持つ城郭の姿と一致したため、有力な確定根拠の一つとなった。 1991年から盛岡市によって、外郭南門と築地塀が古代の技術にならって復元され、「志波城古代公園」として志波城跡愛護協会により管理運営がなされている。現在では、外郭南辺のほか、政庁官衙域も復元整備されている。復元された官衙建物は解説ビデオなどを鑑賞できる展示室として整備されている。(入場無料)
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