発掘調査と現在の景観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:41 UTC 版)
1972年(昭和47年)に環七通りの建設工事に伴って発掘調査が行われたことで当城の遺構が確認された。この調査では遺構のほか、戦国期の陶磁器・漆器・人骨など様々な遺物も検出された。また、中世末期から近世初頭の多数のスッポン遺体が出土しており、近世に西日本から新たにもたらされた食文化と考えられている。 環七通りは中心部の本曲輪跡を南北に横切っており、東西に分断された曲輪がそれぞれ「御殿山公園(wikidata)」と「葛西城址公園(wikidata)」になっている。城跡は現在埋没しており地表面で目にすることのできる遺構はないが、地中レーダー探査などにより南北400メートル×東西300メートルの範囲で堀が確認されている。またこれまでの発掘調査では、堀跡や井戸のほか、青戸御殿に関する遺構も見つかっている。
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