発掘調査と現状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 15:23 UTC 版)
「館山城 (出羽国)」の記事における「発掘調査と現状」の解説
昭和20-30年代に若干の調査が行われたのみで、本格的発掘調査は平成13年(2001年)からであるが、大規模な縄張りと家臣団屋敷跡などと見られる遺構が発見され、伊達氏時代の「米沢城」とは館山城ではなかったかとの説が有力視されるようになった。城跡は大樽川と小樽川が合流する小丘陵と麓の平地に、約34haの面積で広がっている。川を下った最上川支流の合流点のほとりには資福寺(高畠町夏茂)があった。 館山城北館の調査では、整然と配置された中世の屋敷跡が発掘され、比較的長期間に渡って存在したことがわかった。出土品より、晴宗から政宗の年代にあたると推定されている。東館の調査では庭園跡と見られる遺構や石敷があり、高位の人物の居住跡と考えられ、中国産陶磁器などが出土した。2014年に主郭虎口付近より残存石垣が出土して伊達時代のものと注目を集めたが、この石垣に関しては、積み方から上杉時代に積まれたものと考えられるようになった。また染付などが出土したが、遺物の数は少なかった。いずれにしても伊達、上杉により使われた城跡で、遺構の面でも大堀切、枡形虎口跡などがよく残る貴重な城跡史跡である。2016年には国の史跡に指定された。 山城跡の東端には大正9年(1920年)に水力発電所が建設され、現在も東北電力の管理で現役稼動し、同施設は近代産業遺産としての評価を受けている。
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