発掘調査により検出された遺構とは? わかりやすく解説

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発掘調査により検出された遺構

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 02:43 UTC 版)

大内氏館」の記事における「発掘調査により検出された遺構」の解説

石組館跡の西辺の調査石組の溝が検出され、溝の底には水の流れ痕跡があることから排水溝推定されている。1500年代前半造られたが、西門後述)が造られた頃には埋め戻されたと思われる。現在、発掘調査発見された溝の一部そのまま展示されている。 西門 石組溝と同じく館跡西辺で発見され小規模な門跡。その配置大きさから屋敷内内門一つで、礎石検出されなかったことから、礎石使わず門柱両端を石で押さえて固定する様式の門だったと推定される平成9-10年1997年-1998年)の調査門柱跡が発見され失われた館跡一部として復元可能と判断されたことから、当時風景描かれた「洛中洛外図屏風」などを参考平成17年2005年)に復元1号庭園 昭和53年1978年)の調査発見され庭園跡作庭年代庭園形式など詳細不明だが、他の庭園より古い時代の物と考えられており、護岸石の内側立石平玉石があったことが分かっている。現在では埋め戻されているため、その様子を見ることはできない池泉庭園2号庭園敷地南東部位置している館跡最大庭園中央部ひょうたん池がある池泉式の庭園で、庭園東側水路から入れている(排水路などは不明だ南西側流した推定される)。池の東側にはソテツ植樹されているが、これは1488年当時史料にも出てきており、国際交流盛んだった大内文化感じされるものとなっている。平成4-5年1992年-1993年)の第13・14発掘調査発見され平成23年2011年)に16世紀前〜中頃様子復元整備された。周囲には、庭を鑑賞する建物だったと思われる基礎石や石組井戸なども復元・展示されている。 枯山水庭園3号庭園16世紀前半大内義隆時代構築とされる小規模な枯山水式の庭園だが、その中頃火災により焼失した火災後庭石いくつか動かされその後改変により破壊されている。大内義隆の頃の庭と思われ陶隆房謀反により焼失し大内義長によって改変されたと推定される平成9-10年1997年-1998年調査により発見され平成17年2005年)に復元整備された。 その他、石組かまど・せん列建物の跡も展示品として整備されている。また、昭和53年1978年)の最初の調査では金の瓦も出土している。

※この「発掘調査により検出された遺構」の解説は、「大内氏館」の解説の一部です。
「発掘調査により検出された遺構」を含む「大内氏館」の記事については、「大内氏館」の概要を参照ください。

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