資福寺とは? わかりやすく解説

資福寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/05 00:10 UTC 版)

紫陽花と山門(2019年6月撮影)

資福寺(しふくじ)とは、宮城県仙台市青葉区にある臨済宗妙心寺派の寺院である。仙台の北山に並ぶ禅寺北山五山の内の一山である。

概要

鎌倉時代弘安年間、長井時秀によって米沢近郊の夏刈(山形県高畠町夏茂)に建立される。学問の中心として、関東十刹の一つに挙げられることもある有力寺院であった。南北朝時代長井氏伊達氏に滅ぼされた後も、伊達氏の保護を受ける。

戦国時代には、伊達輝宗虎哉宗乙を招いて住持とし、子の政宗の教育を任せたことで知られる。後には伊達氏の移封に従い、天正19年(1591年)に岩出山慶長5年(1600年)に仙台谷地小路(仙台市東六番丁)、寛永15年(1638年)現在地に移転した。紫陽花の名所で、いわゆる「アジサイ寺」として著名。

資福寺跡(史跡)

山形県の資福寺跡は、本堂は遺構のみだが、9代政宗の墓、輝宗遠藤基信の墓がそのまま残り、史跡となっている。敷地は現在も仙台伊達家の所有地である。

参考文献

『高畠町史』 高畠町、1972年

外部リンク

座標: 北緯38度16分59秒 東経140度51分37秒 / 北緯38.28317度 東経140.86019度 / 38.28317; 140.86019


資福寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 02:51 UTC 版)

長井時秀」の記事における「資福寺」の解説

父から引き継いだ出羽長井荘現在の山形県高畠町)に資福寺を建立したとされ、学問中心として、関東十刹一つ挙げられることもある有力寺院であった出羽長井氏衰亡後は伊達氏により保護を受け、虎哉宗乙の元で幼い伊達政宗学んだ。その移封に伴い仙台移った

※この「資福寺」の解説は、「長井時秀」の解説の一部です。
「資福寺」を含む「長井時秀」の記事については、「長井時秀」の概要を参照ください。

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