発掘調査と検出遺構・出土遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/26 03:52 UTC 版)
「鋳物師屋遺跡」の記事における「発掘調査と検出遺構・出土遺構」の解説
1986年(昭和61年)の第一期工業団地造成事業に際して、隣接し同じく縄文遺跡と平安遺跡の遺構が複合する〆木遺跡の発掘調査が行われ、第二期造成区域内が遺構主体部の推定地域とされた。1992年(平成4年)に第二期造成計画が開始されると山梨県土地開発公社から依託された櫛形町教育委員会が発掘調査を行い、1993年(平成5年)に完了する。 検出遺構は竪穴住居址141軒で、縄文時代中期中葉のものが27軒。集落規模は小さいが、ほぼ全容が解明されている。出土遺物のうち、内部が中空となった57号住居出土の円錐形土偶や133号住居出土の人体文様の浮き彫りが施された人体文様付有孔鍔付土器のほか出土品205点が1995年(平成7年)国の重要文化財に指定された。 円錐形土偶は完形で出土した貴重なもので、縄文中期の関東・中部地方における特有の形式。本体は中空、胴体の側面・底部に孔が存在する。切れ長の目に乳房と妊娠による正中線が現された妊婦を表現したもので、3本指の手を腰と腹部にあてている。 調査終了後には工業団地が造成される。出土遺物や調査資料、図録等は櫛形町教育委員会(現南アルプス市教育委員会)に保管。現在は「南アルプス市ふるさと文化伝承館」に移管・収蔵されている。
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