発掘調査とその後とは? わかりやすく解説

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発掘調査とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 09:22 UTC 版)

黒塚古墳」の記事における「発掘調査とその後」の解説

1997年平成9年)から翌年にかけて奈良県立橿原考古学研究所が行った第3次発掘調査で、三角縁神獣鏡33面とそれよりも少し古い画文帯神獣鏡1面が、副葬当時に近い状態で発見された。鏡を含めて埋葬当時位置保っていて、副葬品配列方法その意味がわかるものとなった北東隅に大小2本の鉄棒をU字形曲げた用途不明鉄製品が立てかけられていた。大小2本の棒の間にはV字形の鉄製の管が、複数付着または崩落し、この管で鋸歯状大小のU字形鉄棒結び付けていた形跡がある。 畿内前期古墳に多い頭位北向きで、木棺外の北側には朱塗り木盾斜めに立てかけられていた。外の北鏡は斜めに置かれた盾の上部に乗せられていたとみられる木棺外の西側の北小口に近い部分に、鏃群があり、切先は南を向き、元は隙間矢柄の束があったと推定する。その南に11点刀・剣ヤリまとめて置かれていた。内には被葬者の頭のところに画文帯神獣鏡両側に刀1・剣1をおき、木棺外に東壁側15面、西壁17面の三角縁神獣鏡鏡面内側向けて木棺と壁のわずかな間に立てられていた。被葬者の上半身内、外の二重に鏡と刀剣コの字形に取り囲み、この配列により呪術的な役割をしていたとみられる三角縁神獣鏡のこの扱いにより、この鏡が葬式用に作成されたもので価値のあるものでは無い(つまり小林行雄による大和政権配布説を否定)との見解補強したとの解釈もある。[要出典][誰?]他に外の南側に、革を綴った胃だったとみられる600点の大量小札(こざね)、斧とヤリガンナ工具類、土師器などが配置してあった。玉類や腕装飾品類は出ていない。 後円部埋葬施設竪穴式石室で、内法長約8.3メートル、北小口幅0.9メートル、高さ約1.7メートルで、二上山麓の春日山芝山板石持ち送り積んで合掌造状の天井作り出している。石室内では、粘土床が設けられ断面半円形全長1メートル以上の刳抜式木棺納められている。木棺には中央部長さ2.8メートル範囲のみ水銀施し両端ベンガラ赤色塗られていた模様である。水銀ところに安置されいたもの考えられている。 古墳石室は、通常天井石天井部を塞ぐことが多く合掌造状の天井は珍しいが、この方法は地震弱く中世起きた思われる地震天井部分石室内に崩落し床面の上板石によって覆われていた。後円部中央には竪穴式石室への鎌倉時代大規模な盗掘坑があり、石室大きく破壊されていた。しかし、これは大量崩落石に阻まれ空洞残った南小口部分にだけ侵入したが、大部分断念し石室南小口以外には完全な形で副葬品残されていた。つまり地震盗掘者から副葬品守ったことになる。室町時代後期に楊本氏(やなぎもとし)が黒塚古墳利用して砦を築き、後に土市氏との争い没落その後戦国時代には古墳に、1575年天正3年)に松永久秀柳本城を築き、後に織田信長臣下になり乱死。江戸時代信長の弟織田長益有楽斎)の5男尚長が分知柳本藩に。寛永年間柳本城址柳本陣屋構築し柳本藩藩庁とした。その一部黒塚古墳取り込んだ。堀を転用し石垣造成江戸時代末まで続く。1998年調査で、後円部墳頂に長方形本丸前方部向けて壇状に平坦面の曲輪墳丘削り数段造成後円部周囲には幅の狭い平坦面の帯曲輸を巡らせ前方部の一番低い箇所に幅6.8メートル深さ3.4メートルの堀を新たに掘削し城砦としての機能持たせていた。戦国時代から近世幕末まで武家以外は黒塚古墳には自由に立ち入れなかったため、その後盗掘防いだ説がある。 明治時代から、陣屋跡大部分は、天理市立柳小学校敷地となり、古墳天理市によって整備が行われ、柳本公園となっているほか、古墳隣接して竪穴式石室実物大模型や全銅鏡レプリカなど展示する天理市立黒塚古墳展示館」が設けられている。平成13年2001年1月29日国の史跡指定された。また、出土品平成16年(2004)に「奈良県黒塚古墳出土品」(奈良県立橿原考古学研究所所蔵)として重要文化財指定されている。

※この「発掘調査とその後」の解説は、「黒塚古墳」の解説の一部です。
「発掘調査とその後」を含む「黒塚古墳」の記事については、「黒塚古墳」の概要を参照ください。

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