発掘調査とその成果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/04 08:24 UTC 版)
「阿津賀志山防塁」の記事における「発掘調査とその成果」の解説
1971年(昭和46年)、東北自動車道建設にともなう事前の発掘調査が福島県教育委員会によって行われた。自動車道建設予定地の範囲を調査した結果、厚樫山の南傾斜面中腹で、二重の堀を2メートル前後に掘り、その排土を約1メートル程度に積みあげた三重の土塁跡を検出した。また、西堀の西壁と東堀の東壁との掘り込み部の幅は15メートルにおよび、東土塁には自然石で根固めをしていることも確認された。 1978年(昭和53年)、この地区一帯に圃場整備事業の計画が提示され、その計画が特に南半部の地形を大幅に改変することになってしまうため、翌1979年、福島県教育委員会は緊急発掘調査を実施した。発掘箇所は主として圃場整備実施地区であるが、9地点のトレンチ調査の結果は、一部に一重堀の存在しか検出されなかった地点もあるが、他は二重堀が検出され、二重堀の幅も15メートルであり、堀の深さは浅い箇所でも1.5メートル、深い箇所では2.8メートルにおよび、堀としてはいずれも深く、断面がV字状をなす、いわゆる「薬研堀」であることも1971年の調査同様、確かめられた。 2度にわたる発掘調査および地表観察から、地下で確認された堀や土塁と地上で観察可能な堀や土塁とは、すべてが一様ではないとしても、いずれも攻撃に備えた防塁としての一連の構築物であることは明白であり、堀の層序および遺跡周辺の地名や地形から判断しても、この遺跡が藤原泰衡の防塁跡であることはほぼ間違いないものと考えられる。また、二重堀の堀幅の15メートルは「口五丈堀」の「五丈」におおむね一致しており、これは、文献資料の記載の正確さが考古資料の精査によって裏付けられた事例といえる。
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