新石器時代の大規模集落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/03 20:36 UTC 版)
「テル・アブ・フレイラ」の記事における「新石器時代の大規模集落」の解説
この後、放棄されていた時期を挟み、今から9400年前ごろの新石器時代(地域編年では先土器新石器時代B中期:PPNB中期)に、テル・アブ・フレイラでは再び集落が営まれた(アブ・フレイラ2)。これは最初の集落より10倍は大きく、15ヘクタールの面積のある当時の中東でも最大級の集落であった。泥レンガから長方形の住居が作られ、古い住居が崩れた泥の上に新しい住居を再建したため、集落の下には大きな丘ができあがりはじめた(これが後に遺丘となる)。栽培されていた植物の種類は飛躍的に増え、出土した当時の人々の遺骨に残っていた変形から、人々は農業に関する重労働、とりわけ粉ひきで体を酷使したことが示唆されている。また家畜を集めて飼育することも始まった。今から7300年前には土器が使われ始め、機織りもその少し前に始まった。この集落は今から7000年ほど前、紀元前5900年から5800年頃に放棄されたと考えられる。
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