西暦換算に関する注意
1582年 以前に発生した日本の地震の西暦換算については、ユリウス暦 であるか、グレゴリオ暦 であるかを明記してください。Wikipediaの表記ガイドでは原則としてユリウス暦で表記することになっていますが、『理科年表 』など多くの文献ではグレゴリオ暦表記となっており、混乱を避けるために注意が必要です。
詳細は日本の歴史地震の西暦換算 を参照してください。
遠江国地震 (とおとうみのくにじしん)は、和銅 8年5月25日(ユリウス暦 715年 6月30日・グレゴリオ暦 7月4日)に、遠江国 (静岡県)で発生した大地震。翌日の5月26日(715年7月1日・7月5日)には、三河国 (愛知県)で大地震の記録があり、正倉47棟が倒壊。
天竜川 (麁玉河 )が塞き止められ、数十日後に決壊して洪水が発生(『続日本紀 』)[1] 。山崩れで麁玉河が塞き止められ、敷智・長下・石田3郡の民家が水没し、田も損害を受けた(浜松市 史)[2] 。
この地震に関する根本史料は『続日本紀』に限られ、また後に編纂された『扶桑略記 』にもほぼ同様の内容の記録がある。ただし、『続日本紀』の地震の日付は和銅8年(霊亀 元年)5月25日であるが、『扶桑略記』はその1年前の「和銅七年五月」となっている[3] [4] [5] 。
和銅八年(霊亀元年) 五月辛巳 朔 乙巳 。
遠江地震ス。山崩レ壅二 麁玉河一 。水為之不レ 流レ。経テ二 数十日ヲ一 潰ヘ。没シ二 敷智・長下・石田。三郡ノ民家百七十余区ヲ一 。并損レ 苗。
また、埋没樹木の年輪による年代測定からは、714年に樹木が埋もれたという結果が得られている[6] 。
脚注
- 1749年
古墳時代
飛鳥時代
推古 (599年、M?)
筑紫 (679年、M7?)
白鳳 (684年、M8 - 9)
大宝 (701年、M?)
奈良時代
平安時代
弘仁 (818年、M?)
天長(830年、M7 - 7.5)
伊豆(841年、M7)
出羽(850年、M7.5?)
播磨 (868年、M7?)
貞観 (869年、M8.3<)
元慶 (878年、M7.5<)
仁和 (887年、M8<)
山城・近江(976年、M?)
万寿 (1026年、M?)
永長 (1096年、M8<)
康和 (1099年、M?)
鎌倉時代
室町時代
正平 (1361年、M8<)
応永 (1408年、M?)
相模(1433年、M?)
享徳 (1454年、M大?)
明応日向 (1498年、M?)
明応関東? (1495年、M?)
明応 (1498年、M8.2<)
越後南西部 (1502年、M7)
永正 (1520年、M?)
安土桃山時代
江戸時代 前期
慶長 (1605年、M7.9?)
会津 (1611年、M6.9)
慶長三陸 (1611年、M8.1<)
高田領? (1614年、M7.7?)
寛永小田原 (1633年、M7?)
房総沖 (1655年、M?)
寛文 (1662年、M7.6)
日向灘 (1662年、M7.6)
寛文高田 (1666年、M6.8)
西蒲原 (1670年、M6?)
延宝八戸沖(1677年、M7.9)
延宝房総沖 (1677年、M8 - 8.5)
日光 (1683年、M7)
遠江・三河 (1686年、M7.0)
能代 (1694年、M7.0)
元禄 (1703年、M8.2 - 8.5)
津軽 (1704年、M7.0)
宝永 (1707年、M8.6 - 9.3)
富士宮 (1707年、M7.0)
因伯美(1710年、M6.5)
小谷 (1714年、M6.3)
遠山 (1718年、M7.0)
寛保 (1741年、M6.9)
1750年 - 1799年
1750年 - 1759年
1760年 - 1769年
佐渡沖 (1762年、M7.0)
宝暦八戸沖(1763年、M7.9)
津軽 (1766年、M6.9)
日向・豊後・肥後(1769年、M7.8)
1770年 - 1779年
1780年 - 1789年
庄内(1780年、M7.0)
天明小田原 (1782年、M7.0)
阿波(1789年、M7.1)
1790年 - 1799年
島原半島 (1792年、M6.4)
後志(1792年、M7.1)
西津軽 (1793年、M7.0)
寛政 (1793年、M8.2)
金沢(1799年、M6.0)
1800年 - 1849年
1800年 - 1809年
佐渡小木 (1802年、M6.6)
象潟 (1804年、M7.0)
紀伊半島沖(1808年、M7.6)
1810年 - 1819年
羽後 (1810年、M6.5)
神奈川(1812年、M7.0)
文政近江(1819年、M7.3)
1820年 - 1829年
陸中岩手山(1823年、M6.0)
三条 (1828年、M6.9)
1830年 - 1839年
京都 (1830年、M6.5)
美濃西部(1833年、M6.3)
庄内沖 (1833年、M7.5)
石狩(1834年、M6.4)
宮城県沖 (1835年、M7.0)
釧路・厚岸(1839年、M7.0)
1840年 - 1849年
1850年 - 1884年
1850年 - 1859年
1860年 - 1869年
1870年 - 1879年
1880年 - 1884年