鳶沢一族とは? わかりやすく解説

鳶沢一族

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古着屋総兵衛影始末」の記事における「鳶沢一族」の解説

大黒屋 総兵衛だいこくそうべえ本名沢 勝頼(とびさわ かつより)。 隠れ旗本・鳶沢一族の6代目であり、古着問屋大黒屋」の主人愛刀徳川家康より授かった三池典太」。他に相州鍛冶広光の脇差を差す事もある。祖伝夢想流使い手であり、独自に落花流水剣」を編み出す普段は、仕事よりも遊びが好きで茶屋遊び本業揶揄されるように本業古着問屋には熱心でないよう思われているが、その裏では徳川家護持する旗本として、厳しい武の鍛錬欠かさないでいた。 幕府出来て100年余り経ち世界の情勢取り残されそうになっている日本行く末思い徳川家への新たな奉公の形として、巨大な商船大黒丸建造し海外との交易着手する享保17年1732年仲春陰暦2月)のとある日倒れ2月14日7つ半(午前5時頃)に死去笠蔵(かさぞう) 大黒屋大番頭大黒屋の裏表の実務最高責任者。町の衆からは「おとぼけ笠蔵」と呼ばれる道楽薬草摘みで、大黒屋の庭に小さな薬草園作っている。詳しく自分作ったを店の奉公人や町の住人飲ませる事が趣味。その薬草園では毒草栽培している。 大黒屋江戸屋敷とするなら、沢家江戸家老相当する駒吉(こまきち) 大黒屋小僧。縄の扱い巧みで、「綾縄小僧」の異名を持つ。2巻異心!』で元服し末席手代昇進19歳になった時には5尺8寸を超える偉丈夫育っていた。小僧上がったのは13の年で、当時背丈は5尺3寸を越えていた。宝永4年1707年時点22歳、6尺近い体躯となり、作次郎劣らぬ力持ちになっている大黒屋奉公上がった頃から総兵衛とは一番うまがあい、供として従う事も多い。 当初独断専行多く、その行動一族危難もたらすではないか危ぶまれていた。しかし、数多戦闘経験し南洋への航海にも随身した結果一人前戦士として鍛え上げられた。 おきぬ 大黒屋の奥を取り仕切る女中一族の長老の娘で一族中でも一、二を争う小太刀遣い手浮世絵になった事もあり、「浮世絵おきぬ」とも呼ばれる密かに総兵衛想い寄せていた。元禄16年1703年時点24歳甲府への御用旅で信之助と心を通い合わせ(『朱印!』)、夫婦となる。 信之助しんのすけ大黒屋の一番番頭物語当初では27歳で、元禄15年1702年時点32歳。 分家次男で、名手。「三段突き信之助」と呼ばれる当初まだ子のいなかった総兵衛は、自分の身に万一の事があった場合は、従兄弟である信之助次代総兵衛にするつもりで遺言書用意していた。 密かにおきぬへの想い抱いていたが、総兵衛計らい結ばれる事となる。おきぬとの祝言の夜、久能山鳶沢村急遽出港する事となる。その後琉球向けて出発首里大黒屋支店設立任される(『雄飛!』)。 国次くにつぐ大黒屋三番番頭総兵衛信之助に次ぐ祖伝夢想流遣い手商人偽装して暮らす鳶沢一族の者は常に定寸の剣が使えるとは限らないため、その場にある道中差しでも脇差でも使えるようにと、小太刀の技も修得している。栄太郎死後二番番頭昇格(『抹殺!』)。 又三郎またさぶろう大黒屋四番番頭通称風神又三郎風のように足が速く身のこなし変幻自在なため、この異名がついた。迅速果敢な小太刀使い手栄太郎死後三番番頭昇格(『抹殺!』)。大黒丸の副船頭務める。後に、主船頭昇格駒吉とは取り分け仲が良く隠れ御用一緒に務めてきて、互い気心承知している。 磯松いそまつ大黒屋の手代。一見優男だが、小太刀遣い手である。反物着物流行り廃り見通す眼力大黒屋一で、京や大坂呉服屋古着屋にも一目置かれている。栄太郎死後四番番頭昇格(『抹殺!』)。 稲平 大黒屋の手代。後に筆頭手代昇進。 おてつ 大黒屋古着担ぎ商い一族探索御用務める。秀三とは実の親子。巧み話術他人警戒心解き情報引き出すのが得意。 秀三(ひでぞう) 大黒屋古着担ぎ商い探索任務には母のおてつと共に行動する事が多い。豪力の持ち主。おてつが情報聞き出している間、周囲鋭く観察している。普段は馬鹿のふりをして行動している。 藤助 大黒屋二番番頭京都へ2,000両を運搬する途次襲撃受けて落命栄太郎療養のため鳶沢村戻った後、三番番頭から二番番頭昇格した作次郎(さくじろう) 大黒屋の荷運び頭。鳶沢一族の戦闘部隊中核身長6尺(約180センチ余り。鳶沢一族でも第一怪力で、薙刀使わせたら右に出る者がいない武芸者晴太(せいた) 大黒屋の荷運び人足。足の速さ大黒屋一。 文五郎 大黒屋の荷運び人足。 およね 大黒屋台所仕切る勝手頭。 栄吉 大黒屋小僧宝永2年当時11歳幼い頃から神がかった言動見られた。丹五郎恵三とともに伊勢参り行った際、“影”との連絡に使う火呼鈴持ち出し大黒屋柳沢陰謀加担する者達を翻弄する。火之根御子ひのもとのみこ)として担ぎ上げられ、伊勢神宮大勢の子供を引き連れるが、五十鈴川の突然の鉄砲水飲み込まれ死亡。 父の松蔵生まれつき左足が不自由で、江戸富沢町奉公上がれず、それが原因性格がねじ曲がっていた。 恵三 大黒屋小僧宝永2年当時12歳。栄吉丹五郎と共に伊勢参りに行く(『熱風!』)。 鳶沢総兵衛幸綱 総兵衛亡父大黒屋沢家5代目琉太郎 信之助とおきぬの子春太郎 総兵衛美雪の間に生まれた子。大黒屋沢宗家7代目成長後沢勝成(かつなり)と称する鳶沢村幼少期過ごし父の死後総兵衛遺言従い江戸富沢町に戻る。 あき 鳶沢村隠棲していた時に産まれ総兵衛長女仙右衛門 明神丸船頭作次郎叔父錠吉 大黒丸乗り組む一族最長老先代総兵衛から、お店奉公には向かぬとして明神丸乗組員となる事を命じられる以来明神丸船員として働く。後に大黒丸にも乗り組む夏吉郎(かきちろう) 駿府丸船頭総兵衛信之助従兄弟駿府丸の荷を狙った江川屋による襲撃で命を落す(『停止!』)。 栄太郎 大黒屋二番番頭43歳。肺病患い鳶沢村戻って静養努めていた。算盤栄太郎といわれるほど数字には滅法強い。夏風邪思って医者かかったら、労咳診断された。後に肺炎併発し死亡助次 大黒屋小僧。るり救出の際に、甲賀遠雷組のお泉刺され死亡参造、奈良平、大和 大黒丸遭難後次郎兵衛とともに鳶沢村から来た増援若者1618歳大和は後に柳沢の手の者に殺害される(『交趾!』)。 桃三郎 大黒丸先乗り方。平戸にいる間に異国言語習い覚えたため、通事通訳)を務める。 豊太郎、善三郎、助茂 鳶沢村若い衆見習い手代喜一 大黒丸水夫カディス号との海戦で、檣楼見張りをしていた際、砲弾を受け死亡死体信之助達に葬られる伍助 大黒丸水夫頭。カディス号との海戦で、胸に砲弾の破片を受け重傷負い、後に死亡芳次 駒吉従兄弟元禄15年1702年時点14歳江戸出て大黒屋小僧として働く。 錠吉 大黒丸水夫カディス号との海戦死んだ伍助代わり水夫頭となる。 新造 大黒丸建造のため、海外造船技術操船術を学ぶために長崎派遣された。大黒丸では操船方を務める。 正吉 大黒丸建造のため、海外造船技術操船術を学ぶために長崎派遣された。大黒丸では帆前方務める。 はな 中古帯を商う博多屋がつぶれた後、買い取って開いた小間物屋「いとや」で祖母のおかつと共に働く娘。「いとや」には大黒屋出先機関としての機能がある。 総兵衛幸綱そうべえゆきつな) 鳶沢一族の5代目。勝頼の父元禄4年1691年正月死去。 萌(もえ) 勝頼の母。もとは小石川水戸藩邸の女中

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鳶沢一族

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古着屋総兵衛影始末」の記事における「鳶沢一族」の解説

江戸時代初期の元西国浪人盗賊沢成元を祖とする一族。捕えられた後、助命引き換え江戸跋扈する盗賊無法者一掃する事を家康命じられる。それを成した後、江戸の町古着商いをする権利与えられ日本橋沢町総代大黒屋総兵衛成元となる。家康臨終の際、久能山の裏領地与えられ墓所を守る裏門衛士としての役割与えられる

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鳶沢一族

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新・古着屋総兵衛」の記事における「鳶沢一族」の解説

大黒屋 総兵衛 勝頼だいこくそうべえ かつより) 大黒屋6代目当主前作古着屋総兵衛影始末シリーズ主人公大黒屋中興の祖として一族敬われている。享保17年1732年2月14日死去大黒屋 総兵衛 勝典だいこくそうべえ かつのり大黒屋9代目当主物語開始時点で36歳労咳にかかり、1巻『血に非ず』にて病死大黒屋 総兵衛 勝雄 大黒屋8代目当主。勝典の父。物語開始時点で故人幸之輔こうのすけ) 勝典の嫡男流行り病により、11歳死亡由紀乃 勝典の内儀幸之輔死後精神患い実家帰る光蔵みつぞう大黒屋大番頭物語開始当時60歳大黒屋大番頭は、代々庭の一角薬草育てるという伝統があり、光蔵もそれにならって薬草園作り手入れをしている。 信一郎 大黒屋の一番番頭琉球出身で、前作古着屋総兵衛影始末シリーズの一番番頭信之助の孫。英吉利製の決闘用拳銃2丁を使いこなす祖父から総兵衛勝頼仕込みの技と素手で戦う琉球武術仕込まれる琉球武術腕前達人級で、また6代目総兵衛想起させる祖伝夢想流の技前から「六代目仕込み」の異名を持つ。 参次郎 大黒屋二番番頭雄三郎(ゆうざぶろう) 大黒屋三番番頭重吉じゅうきち) 大黒屋四番番頭安左衛門(やすざえもん) 駿府鳶沢村分家長老一族最長老で、物語開始当時77歳仲蔵なかぞう大黒屋琉球首里店の総支配人。一番番頭信一郎実父物語開始当時55歳田之助 大黒屋の手代。手足長く江戸駿府鳶沢村の間を4昼夜往来するため、「早走り」の異名を持つ。 華吉(かきち) 大黒屋の手代。含み針の使い手で、畳針急所打ち込む技にも長ける九輔きゅうすけ大黒屋の手代。身軽で「九輔」の異名持ち、縄の扱い巧み鳶沢村から奉公出てきた当初江戸暮らし慣れず夜に泣いて過ごしていたところ、大黒屋飼い猫だった先代のひなに慰められた。それ以来、彼もひなに懐き、ひなも彼の後をついてくることが多かったため「つきの九輔」と呼ばれ、それがやがて「九輔となった。この異名とは裏腹に本当犬好き。 おりん 大黒屋女中奥向き取り仕切っており、病に伏した勝典の世話任されていた。年齢25歳物語開始当初)。安左衛門の姪で、鳶沢一族の中でも美貌賢さ知られる大黒屋奉公出たのは13歳の時で、当初から美しさ才気評判となり、「富沢町小町」の異名呼ばれている。 銀次 大黒屋小僧鉤縄を使う。 松吉 大黒屋小僧天松てんまつ大黒屋小僧6巻転び者』で手代見習い昇格背丈が5尺8寸(約176センチ)あり、同輩から「ひょろり天松」「ひょろ」と呼ばれている。勘が鋭く、闇に紛れて尾行することが得意。長さ2尺5寸(約7.6センチ)の畳針似たものを指の間に隠し危機陥った際は呆け真似しながら相手油断させ、隙を窺って片手振り抜いて相手の顔などに飛ばした針を突き立てる技を得意とする江戸育ちで、富沢町内で古着商いをする鬼六とおつまを父母に持つ。鬼六とおつまは、情報収集のため荷担いで行商に出る任務を負うこともある。後に綾縄を使いこなし、「二代目綾縄小僧」を名乗ることを勝臣に許される潮吉 船頭坊主の権造(ぼうずのごんぞう大黒屋の荷運び頭。坊主頭で、怪力大男棹差しの武男 権造配下常五郎(つねごろう) 鳶沢村若者頭美吉(よしきち) 鳶沢村若い衆達次 鳶沢村若い衆有度の恒蔵(うどのつねぞう) 鳶沢村助長老の1人で、久能山衛士束ねる組頭道場師範代1人で、鳶沢村四天王1人根古屋の仁助じんすけ鳶沢村に残る戦闘員中核四天王1人普段野菜作って江尻府中旅籠卸す仕事をしている。 五右衛門ごえもん安左衛門実弟鳶沢村道場師範任されている。 鍛冶屋の稲三郎、漁師の加吉 鳶沢村四天王。恒仁助とともに道場師範代をしている。 おしげ 鳶沢村娘。初登場時15歳鍛冶屋弥五郎の娘で、勝臣の人別戸籍上では妹。 壱蔵いちぞう深浦の船隠しの浜の長。元は大黒丸船手代だったが、事故左足失った後、自ら望んで船を下り深浦の船隠し一族下働きとして奉公するようになった。足は不自由だが、動き機敏市蔵 大黒屋見習番頭満次郎 大黒屋の手代。 広一郎こういちろう弥生町古着屋「や」の主。「や」は大黒屋出先機関であり、地下通路大黒屋繋がっている。 百蔵(ひゃくぞう) 古着担ぎ商い。 ひな 大黒屋飼い猫である黒猫6代目総兵衛以来大黒屋飼い猫黒猫で、「ひな」と名付けることになっているさくら、甲斐、信玄 大黒屋飼っている甲斐犬内藤新宿古着屋から譲り受けてきたで、さくらが雌であとの2頭が雄。 お香 おりんの母親。おりんの前に富沢町奥向き取り仕切っていた。おりんに奥向きのことを任せて鳶沢村隠棲していたが、大黒屋今坂一族加入するに伴い、彼らに日本語漢字教え師匠役割を担うため再び呼び出される。 おりんの父は、安左衛門末弟の海次郎(かいじろう)。2人所帯持とう思い合っていたが安左衛門反対され、海次郎出たところで始末されたことになっていた。実際には、追っ手の者に死んだということにされて、越前国曹洞宗永平寺修業続けている。 武七郎(ぶしちろう) 「波乗り武七郎」の異名をとる若者 四番番頭重吉の末の妹。鳶沢村から江戸大黒屋来て奥向き奉公見習となる。 海生かいせい信一郎とおりんの子

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鳶沢一族(とびさわいちぞく)

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新・古着屋総兵衛」の記事における「鳶沢一族(とびさわいちぞく)」の解説

初代将軍徳川家康より、徳川幕府を影から護る隠れ旗本としての任を与えられ一族江戸時代初期開発始まったばかりで治安悪く無法者跋扈する江戸の地を、助命引き替えにそこに巣食う夜盗達を一掃した沢成元の子孫。その後千代田城鬼門にあたる地と古着商権利と共に旗本としての任務授けられ家康死後はその最初埋葬地である久能山の地に隠れ里をつくり、徳川幕府聖地護る任務与えられた。

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