耶律大石とは? わかりやすく解説

やりつ‐たいせき【耶律大石】

読み方:やりつたいせき

[?〜1143カラキタイ西遼)の初代皇帝在位1132〜1143。字(あざな)は重徳廟号(びょうごう)は徳宗。遼の王族出身。遼が金の攻撃を受けると外モンゴル逃れ、のち西進し制圧1132年カラハン朝倒しフスオルダベラサグン)で即位。さらに東西トルキスタン制圧


耶律大石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/15 09:33 UTC 版)

耶律 大石[1](やりつ たいせき、契丹音:ヤルート・タイシ)は、西遼(カラ・キタイ)の初代皇帝(グル・ハン)。


  1. ^ 洪皓松漠紀聞』では、「達実」と記されている(原文「達実(大石)、深入沙子、立天祚之子梁王為帝、而相之」※梁王とは、天祚帝の次男の梁王耶律雅里のこと)。
  2. ^ 遼史
  3. ^ 藤枝晃「西遼」『アジア歴史事典』5巻収録(平凡社, 1960年)、208-209頁
  4. ^ 劉祁『北使記』によると、大石は阿骨打から妻を賜ったと記されている(ただし、この女性が塔不煙(タプイェン)なのかどうかは不詳)。
  5. ^ 『松漠紀聞』によると、大石の先妻はすでに何者かによって、5人の子と共に射殺されたという(原文「則棄其妻、携五子、宵遁」)。


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耶律大石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「耶律大石」の解説

楊令伝中央アジア東部拠点を置く独立勢力首領。遼最大北辺軍閥首領だったが、聞煥章との出会いにより、新しい国の建国という生まれて初めての夢を抱く。燕軍の総帥として趙安相手互角戦い繰り広げるが、耶律淳死後は、隷下四万軍勢引き連れ西遷西夏のさらに西の川辺に拠点築き猶もの軍を維持し続ける。当初それなりに広い領域に対して影響力保持するものの、隷下の軍で治安維持することにより周辺小勢力の長として認められているという弱い支配力しか持ちえていなかった。後に梁山泊交易路構想協力し勢力西進図りウイグル攻撃、これを従え、虎思斡耳朶(クスオルダ)を本拠とし、彼の地に遼を再建初代皇帝となる。その支配領域にはイスラム教信者多く梁山泊商隊もその宗教慣習に気をつかっている。

※この「耶律大石」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
「耶律大石」を含む「大水滸シリーズの登場人物」の記事については、「大水滸シリーズの登場人物」の概要を参照ください。

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