耶律国留とは? わかりやすく解説

耶律国留

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/22 04:52 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

耶律国留(やりつ こくりゅう、生没年不詳)は、(契丹)の詩人

経歴

仲父隋国王耶律釈魯の玄孫で、于越耶律洼の庶孫にあたる。詩や文章を得意として、聖宗に重用された。妻の弟の妻の阿古が奴隷と密通して発覚し、女直に逃亡しようとした。国留が追いかけて奴隷を殺すと、阿古は自ら命を絶った。阿古の母は睿智太后に重用されており、太后に事を訴えたため、国留は処刑されることとなった。聖宗は国留を救うことができず、人を派遣して別れを告げさせ、死後のことを問わせた。国留は「陛下が臣の罪なきをあわれんでくださるなら、恩義は九泉を漏れでて、死してかつ朽ちることはないでしょう」と言って拝謝した。処刑された後、当時の人の多くは冤罪とみなした。

獄中で「兎賦」や「寤寐歌」を書いたことで世に知られた。

兄弟

伝記資料

  • 遼史』巻88 列伝第18




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「耶律国留」の関連用語

耶律国留のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



耶律国留のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの耶律国留 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS