劉夫人_(李克用)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 劉夫人_(李克用)の意味・解説 

劉夫人 (李克用)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 16:55 UTC 版)

劉夫人(りゅうふじん、大中7年(853年) - 同光3年5月6日925年5月30日))は、末から五代十国時代の人物で、後唐の太祖李克用の正妻。荘宗李存勗の嫡母であり、その即位後に皇太妃に封ぜられた。

生涯

強くて勇敢であり、男勝りな性格であった。武術に優れ、側室や女中たちに騎射を教えた。

唐の中和4年(884年)6月、李克用が黄巣に勝利した後、開封朱全忠が酒宴に招いた。しかしその夜、朱全忠が軍を率いて襲撃してきた。一部の将兵が李克用を見捨て逃げ帰り、主君の凶事を知らせた。劉氏はただちに逃げてきた者を斬り、将を呼んで軍をまとめた。この時、同行した史敬思は戦死したものの、李克用は逃走に成功した。翌日、李克用は激怒して朱全忠を討つべしと叫んだ。劉氏は「今は、あの男も朝廷の命を受けた官です。互いに攻撃するのは理がありません」と諫め、軍を晋陽に退かせた。

李克用が晋王となると、劉氏は秦国夫人に封ぜられた。その後、李克用軍と朱全忠軍は連年にわたって交戦した。大順元年(890年)、朱全忠軍は一度晋陽を囲んだ。李克用は弱気になって、ついには李存信の扇動で北へ逃れようとした。劉氏は李存信を罵り、夫を励まし、李存孝などの将士を薦めた。李克用は劉氏の言に従って、危険を脱した。

劉氏は美女であった曹氏(後の貞簡皇后中国語版)を見出すと、夫に側室として薦め、妻妾仲よくした。曹氏は李存勗後唐の荘宗)など3人の男子を産んだ。荘宗が帝位につくと、嫡母の劉氏を皇太妃とした(父の側室の扱い)。劉氏は皇太后となった曹氏に「私たちの息子は国を建てた。私の長年の願いが実現した」と言った。李存勗は後梁を滅ぼすと、曹氏を伴って開封に遷し、劉氏は晋陽に残した。同光3年(925年)5月、劉氏は寂しく亡くなった。

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  劉夫人_(李克用)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「劉夫人_(李克用)」の関連用語

1
78% |||||

劉夫人_(李克用)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



劉夫人_(李克用)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの劉夫人 (李克用) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS