ふ‐けん【府県】
読み方:ふけん
府と県。
府県制
(府・県 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/03 23:32 UTC 版)
府県制(ふけんせい)とは、1890年(明治23年)に制定された日本の地方行政制度であるとともに、それを規定した法律でもあった。
地方制度としての府県制
行政区画としての府県は1868年(慶応4年・明治元年)の府藩県三治制に始まり1871年(明治4年)の廃藩置県により3府302県が置かれ、3府72県を経て1889年(明治22年)までに3府43県に統合された。この間、1878年(明治11年)7月22日、郡区町村編制法とともに地方三新法を構成する府県会規則および地方税規則により自治体としての性格を得、従来の国の地方出先機関としての性格との二面性を持つようになった。
1889年(明治22年)2月11日に発布された大日本帝国憲法(1890年(明治23年)11月29日施行)による立憲体制下において、自治体としての府県は1890年(明治23年)にプロイセン王国の州制度に範をとって制定された法律「府県制」によって規定された。一方、地方長官である知事以下、地方官庁としての府県の機構は勅令である「地方官官制」によって規定された。府県知事は官選とされ政党内閣または政党の影響の強い内閣の時期も含めて多くは内務省の官僚が任命され、また内務大臣の監督に服するものとされた。それに対して府県会は財政議決権を持つだけで与えられた権限の及ぶ範囲は狭く、自治体としてよりも国の行政区画としての意味合いが強かった。第二次世界大戦中は更に政府の統制が強化されたが終戦後の1946年(昭和21年)の第1次地方制度改革で知事の公選制が導入されるなどの民主化が行われ、最終的には1947年(昭和22年)の地方自治法の施行により現行の都道府県制に移行した。
なお、府県制の確立と同時期にチャクリー改革が行われていたサイアム王国(現・タイ王国)でも府県制とほぼ同様の制度が導入され、こちらは21世紀の現代に至るまで維持されている。
法律「府県制」
府県制 | |
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![]() 日本の法令 |
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法令番号 | 明治23年法律第35号 |
種類 | 地方自治法 |
効力 | 失効 |
公布 | 1890年5月17日 |
所管 | 内務省[地方局] |
主な内容 | 府県制について |
関連法令 | 地方自治法、市制、町村制、東京都制 |
条文リンク | 『官報.1890年5月17日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション |
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道府県制 | |
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![]() 日本の法令 |
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法令番号 | 明治32年法律第64号 |
提出区分 | 閣法 |
種類 | 地方自治法 |
効力 | 廃止 |
成立 | 1899年3月4日 |
公布 | 1899年3月16日 |
所管 | 内務省[地方局] |
主な内容 | 道府県制について |
関連法令 | 地方自治法、市制、町村制、東京都制 |
制定時題名 | 府県制 |
条文リンク | 官報 1899年3月16日 |
「市制町村制」(明治21年法律第1号)と併せて大日本帝国憲法下の地方自治制度を形づくる法律である府県制(明治23年5月17日法律第35号)は、「郡制」(明治23年法律第36号)とともに第1次山縣有朋内閣の下で帝国議会の協賛を経て1890年(明治23年)5月17日に公布された。この法律は「自治体としての府県」について規定したものであり、住民から選挙された議員(納税額によって区分された階級ごとに選挙される)によって構成される府県会と知事と府県高等官および府県会議員の中から選出された名誉職参事会員による府県参事会が自治の主体となった。
附則第94条の規定により、この法律は「郡制」および「市制」の施行された府県から順次施行するものとされたが多くの県で郡制施行の前提である郡の再編が進まずに府県制の施行が遅れた(1891年(明治24年)中に施行されたのは9県のみ)。そのため、1899年(明治32年)3月16日に「郡制」とともに「府県制」も全部改正されて[1]ようやく北海道と沖縄県を除く全府県に施行された(改正まで施行されなかったのは東京、大阪、京都の3府と神奈川、岡山、広島、香川の4県)。1947年(昭和22年)の地方自治法施行により廃止されるまで有効であったのは、この新「府県制」(明治32年法律第64号)である。この改正によって府県に法人格が与えられて自治体としての体勢が強化される一方で、府県知事の権限規定も整備・強化された。
1926年(大正15年)、衆議院議員選挙と同様に府県会議員選挙に普通選挙制度を導入するための改正(納税額による選挙権・被選挙権制限の撤廃)が行われ1929年(昭和4年)の改正では府県に条例および規則[注釈 1]の制定権が与えられた。
戦後、1946年(昭和21年)9月27日の改正(施行は10月15日)で府県知事が住民により直接選挙される公選制が導入された。従来府県における選挙事務を統括していた府県知事自身が選挙の対象となったこともあってこの改正により各道府県に選挙管理委員会が設置され、知事の管轄から分離された。同時に北海道における自治制度を規定していた「北海道会法」と「北海道地方費法」が廃止されて「府県制」に統合され、この法律は「道府県制」と改称された[2]。従来「北海道地方費」と呼ばれていた北海道における自治体は「道」と呼ぶものとされた。1947年(昭和22年)4月に実施された第1回統一地方選挙における府県知事および北海道庁長官(北海道知事)の選挙は、この法律によるものである。
1947年(昭和22年)5月3日、日本国憲法と地方自治法の施行によって市制、町村制、東京都制とともに道府県制も廃止された。
施行日
- 明治24年(1891年)
- 明治25年(1892年)
- 10月1日 - 愛知県
- 明治27年(1894年)
- 7月1日 - 宮城県
- 明治29年(1896年)
- 明治30年(1897年)
- 明治31年(1898年)
- 明治32年(1899年)
- 明治42年(1909年)
- 4月1日 - 沖縄県
脚注
注釈
- ^ この規則は、府県会の議決を要するもので、地方自治法に基づく知事の制定する規則とは制定権者が異なる。府県制のもと、知事の制定するものは府県令であった。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
府県
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:06 UTC 版)
1868年(慶応4年・明治元年)、江戸幕府の直轄領(幕領・旗本の領地)が明治政府の直轄領になった。政府は三都(江戸・大坂・京)や、開港5港などを管轄する重要地域を府とし、それ以外を県として、府に「知府事」が、県に「知県事」が置かれた。藩はそのまま大名(諸侯)が治めた。 1869年9月1日(明治2年7月25日)、かねてより諸侯から出されていた版籍奉還の願い出を受け入れ、諸侯を代替わりさせた上で知藩事として引き続き各藩の統治を任せた(廃止された藩もある)。 この時点で、諸侯は領地と領民に対する統治権を全て天皇に奉還したことになっているものの、実質的な地方支配体制は、幕藩体制の江戸幕府の地位を明治政府が引継ぎ大名の役名や任地などの名称が変更されただけであり、府藩県三治制と呼ばれる(府県のみ直轄)。 1869年9月29日(明治2年8月24日)の太政官布告によって、京都府・東京府・大阪府以外は全て県と称することが決まり、前後して他の府(神奈川府・新潟府・越後府・甲斐府・度会府・奈良府・箱館府・長崎府)が県に名称変更した。この時点では、天皇が東京行幸で東京にいたが、高御座(天皇の在所を示す玉座で、これのある場所が皇居とされる)の移動が無かったので、高御座のある京都府の方が東京府より序列が前になっている。なお、この太政官布告前は、東京府は江戸府と呼ばれており、同時に江戸から東京に改称された。 1871年8月29日(明治4年7月14日)に行われた廃藩置県により、藩は県となって、全国が明治政府の直轄となった。結果的に、1使(開拓使)3府(東京府・京都府・大阪府)302県となる。この時点では江戸時代の藩や天領の境界をほぼそのまま踏襲したものであったため、飛び地が全国各地に見られ、府県行政に支障を来たしていた。同年12月にはこれを整理合併(第1次府県統合)し、1使3府72県となった。 1876年(明治9年)に県の大規模合併(第2次府県統合)が行われて37府県まで減ったが、各地で分割運動が起こった結果、1庁(北海道庁)3府(東京府・京都府・大阪府)43県となった。この時期には、1878年(明治11年)の地方三新法制定や、1889年(明治22年)から1890年(明治23年)にかけての市制・町村制・郡制・府県制の制定など、地方制度の整備が試行錯誤的に進められている。1888年(明治21年)の香川県分立以降、県の合併・分割は一切行われず、1943年(昭和18年)に正式に内地編入された樺太庁が追加されたほか、同年、東京府が東京都となり現在に至っている(終戦時、1都(東京都)2庁(北海道庁・樺太庁)2府(京都府・大阪府)43県)。 なお、1902年(明治35年)、内務省は47道府県から19県を廃止して28道府県に統合する内容の「府県廃置法律案」を計画していた。1903年(明治36年)11月には第一次桂太郎内閣により閣議決定され、翌1904年(明治37年)4月をもって施行される予定であった。しかし同年12月の衆議院の解散や1904年2月の日露戦争勃発により議会への提出には至らず、結局成立しなかった。 廃藩置県後、県の長官は「知県事」から「県令」と改称され、京都府・東京府・大阪府など府の長官は「知府事」から「知事」と改称された。1886年(明治19年)以後は、両者とも「知事」と呼ばれた。府知事や県令(県知事)は、内務省から派遣される官僚であった。一方で、1878年(明治11年)に制定された地方三新法の1つである府県会規則(北海道には適用されなかった)によって府県会が置かれることになり、地方自治の主体としての性格も併せ持った。 1889年(明治22年)に市制が始まるが、市を代表するのは市会であり、現在のように市長ではなかった。ただし、「県」下の市には「市会推薦市長」が存在したのに対し、「府」下の市(東京市・京都市・大阪市)には市長は存在せず、府知事がその役を兼務した。これら3市では、1898年(明治31年)10月になって初めて市長が生まれた。 「市制特例」も参照 国の地方行政官庁としての府県は、勅令である「地方官官制」によって、地方自治体としては法律である「府県制」(明治23年 法律第35号:明治32年、法律第64号で全面改正)によって規定されている。 沖縄県は、「県」が設置される経緯が、他の42県と異なっている。 「沖縄県の歴史#琉球処分」も参照
※この「府県」の解説は、「都道府県」の解説の一部です。
「府県」を含む「都道府県」の記事については、「都道府県」の概要を参照ください。
「府県」の例文・使い方・用例・文例
- 全国で初めて都道府県から直接権限の移譲を受ける
- この調子で進めば再来年には全国各都道府県への出店が実現します。
- 府県はフランスや日本の行政区域である。
- 府県別人口表
- 都道府県の中の郡に属する地域
- かつての神社の格の一つで,村社の上,府県社の下に位置したもの
- 公に指定された,国立公園と国定公園と都道府県立自然公園
- (都道府県庁の)支庁
- 都道府県の長
- 都道府県に設置される労働委員会
- 各都道府県知事がその権限内の事務に関して制定した法規
- 都道府県議会という行政機関
- 各都道府県の住民により選出された議員によって構成される議決機関
- 都道府県議会議員という役職
- 都道府県議会議員という役職の人
- 二つ以上の都道府県が共同で土木などの処理を行うために設立する組織
- 都道府県公安委員会という行政機関
- 各都道府県の議会が制定する法規
- 都道府県道という道路
- 都道府県費という経費
府・県と同じ種類の言葉
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