藩と代官支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 02:43 UTC 版)
1616年(元和2年)、譜代大名の石川忠総が美濃国大垣から6万石(日田郡、玖珠郡、速見郡内)で日田郡に封じられ、丸山城に入ったが、1633年(寛永10年)に下総国佐倉に転封し、領地は小笠原家2藩(中津藩・杵築藩)の預り地となった。1639年(寛永16年)日田郡領は森藩領を除いて幕府直轄領として管理されるところとなり、初代代官に小川藤左衛門、小川九左衛門の2名が入領した(2人制)。第2代小川代官の時、1665年(寛文5年)に百姓一揆である日田騒動が起り、代官は改易、翌年新任の代官が送られるまで、肥後国熊本藩(細川綱利)の預り地となる。 1682年(天和2年)、播磨国姫路から減封で松平直矩(結城松平家)が7万石で入封したが、1686年(貞享3年)に出羽国山形へと転封となった。これ以降、日田郡は幕府直轄領として大政奉還を迎え、大名が所領することはなかった。
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