旧藤堂家領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 18:38 UTC 版)
藤堂高虎は慶長13年(1608年)に伊勢安濃津(津藩)に転封されたが、今治城付近の2万石は藤堂家領として残り、養子の藤堂高吉が預かった。藤堂旧領のうち大洲城には脇坂安治が5万3000石で、宇和島城には富田信高が12万石で入った。 宇和島の富田家は慶長18年(1613年)に改易され、翌慶長19年(1614年)に伊達秀宗が10万石で入った(宇和島藩)。その後秀宗の五男である伊達宗純が3万石を分知され、伊予吉田藩を立藩した。 大洲の脇坂家は元和3年(1617年)、安治の子・脇坂安元の時に転出し、代わって加藤貞泰が6万石で入封した(大洲藩)。のちに加藤直泰が1万石を分知されて新谷藩を立藩した。 今治の藤堂家領2万石は、寛永12年(1635年)に伊賀国名張に替地が与えられ、今治には松平定房が3万石で入封した(今治藩)。なお、兄定行の松山入封と同時である。
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