石河忠喜とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 石河忠喜の意味・解説 

石河忠喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/10 09:26 UTC 版)

 
石河忠喜
時代 江戸時代中期
生誕 宝永3年(1706年
死没 享保18年6月21日1733年7月31日
改名 七郎(幼名)→忠喜
別名 太八郎、伊賀、隠岐(通称)
主君 徳川宗春
尾張藩家老
氏族 石河氏(美濃石川氏)
父母 父:石河正章
兄弟 忠喜光當
正室:竹腰正武の娘

石河 忠喜(いしこ ただよし)は、尾張藩家臣、美濃駒塚領主、石河家第5代当主。

生涯

宝永3年(1706年)、尾張藩家老石川正章の子として生まれる。

享保16年(1731年)6月、父正章の隠居により家督を相続し、美濃駒塚領主となる。享保17年(1732年)6月、江戸に参府し、江戸城で将軍吉宗に拝謁。同年9月、それまで「河」「川」の字を併用していた名字を「石河」と定める。

享保18年(1733年)6月21日死去。子のないまま没したため、分家興利の養子となっていた実弟の正茂(光當)が、実家に戻り家督を相続した。

参考文献

  • 『名古屋市史』



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石河忠喜」の関連用語

1
12% |||||

石河忠喜のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石河忠喜のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石河忠喜 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS