尾張藩の御用達七家衆とは? わかりやすく解説

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尾張藩の御用達七家衆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 08:33 UTC 版)

十一屋 (名古屋)」の記事における「尾張藩の御用達七家衆」の解説

徳川家康の子尾張徳川家初代徳川義直清洲城から名古屋城居城移したのと同じ1615年元和元年)に、小出庄兵衛摂州音羽現在の大阪府茨木市)から居を移して十一屋屋号小間物商を始めたのが始まりである。 1654年承応3年)に玉屋町移り尾張藩御用達商人の七家衆に位置付けられる豪商となり、1799年寛政11年)には藩の御用達として第3位挙げられるまでに成長した名古屋尾張藩御用達商人1868年慶応4年)で353名で、三家衆、除地衆、御勝手御用達など数段階に分けられていたが、十一屋小出庄兵衛は、最高位三家衆(関戸哲太郎、伊藤次郎左衛門内田太郎)に次ぐ除地衆の一人として熊谷庄蔵岡谷惣助伊藤三郎と共に名を連ね三家衆と除地衆を合わせた七家衆に位置付けられていた。 また、伊藤次郎左衛門のいとう呉服店(後の松坂屋)や下むら呉服店大丸呉服店という言い方もあった後の大丸)、桔梗屋と共に名古屋4大呉服店一つとして数えられる有力な呉服店となっていた。 その他にも、熱田前新田一部で、南の割とも呼ばれた地域所有する地主なっており、名古尾港区十一屋町という地名小出庄兵衛屋号由来している。

※この「尾張藩の御用達七家衆」の解説は、「十一屋 (名古屋)」の解説の一部です。
「尾張藩の御用達七家衆」を含む「十一屋 (名古屋)」の記事については、「十一屋 (名古屋)」の概要を参照ください。

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