尾張藩士・河和水野家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 04:22 UTC 版)
田原城主・戸田憲光が河和城(愛知県美浜町河和)を築き、その子・万五郎親光が河和城を継いだのに始まる。孫右衛門繁光・孫八郎守光と続く。天正17年、孫八郎守光が小田原征伐で討死すると河和城は廃城となった。守光の子・光康は母(水野信元の娘、妙源尼)の縁で水野姓に改姓し、家康に仕え武蔵国足立郡大門郷500石を知行、のち旧領の河和郷1460石に復帰した。そして徳川義直の家臣となり、家系は尾張藩士として続いた。また尾張国富貴城主水野右馬允守信(忠守の子)は戸田守光の娘を娶ったため、一時的に戸田氏を名乗っている(のち水野に復姓)。 戸田親光━繁光━守光━水野光康━政康━伊頼┳康寛=康村━康友━康般━康民━康功━康年 ┗康親━康村
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