和知村とは? わかりやすく解説

和知村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/07 08:18 UTC 版)

わちむら
和知村
廃止日 1955年1月31日
廃止理由 編入
和知村八百津町
現在の自治体 八百津町美濃加茂市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
加茂郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 美濃加茂市加茂郡八百津町錦津村上米田村可児郡兼山町
和知村役場
所在地 岐阜県加茂郡和知村和知1588-1
座標 北緯35度28分01秒 東経137度06分10秒 / 北緯35.46697度 東経137.10275度 / 35.46697; 137.10275座標: 北緯35度28分01秒 東経137度06分10秒 / 北緯35.46697度 東経137.10275度 / 35.46697; 137.10275
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和知村(わちむら)は、かつて岐阜県加茂郡に存在したである。

現在の加茂郡八百津町西部に該当し、木曽川北岸の地域である。

美濃加茂市牧野と八百津町上牧野との境で、一部複雑な境界線となっている箇所がある。これは、かつてこの地域は和知村の一部であり、編入分離を行なったさいに境界線が複雑化した名残である。

歴史

  • 江戸時代末期、この地域は美濃国加茂郡であり、尾張藩領であった。
  • 1874年明治7年) - 上牧野村と下牧野村が合併し、牧野村となる。
  • 1889年明治22年)7月1日 - 和知村、野上村、上飯田村、牧野村が合併し、和知村となる。
  • 1954年昭和29年)4月1日 - 和知村の一部(牧野地区)が分離し、太田町古井町山之上村蜂屋村加茂野村伊深村下米田村、及び三和村の一部(廿屋・川浦地区)と合併、美濃加茂市となる。この合併は市制を施行するために、半ば強引に牧野地区を分離し合併させたものであり、住民からの反対が強かったという。
  • 1954年(昭和29年) - 牧野地区の一部(旧・上牧野村)から、八百津町への編入の住民運動が活発となる。最終的には知事勧告により、牧野地区の一部は美濃加茂市から分離し、八百津町への編入が決定する。しかし、調整がうまくつかず、和知村の八百津町編入と同日実施は見送られることとなる。
  • 1955年(昭和30年)1月31日 - 和知村の残部が八百津町に編入される。
  • 1955年(昭和30年)3月25日 - 美濃加茂市の一部(旧・和知村上牧野地区)が八百津町に編入される。

学校

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