山下氏勝とは? わかりやすく解説

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山下氏勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/18 15:43 UTC 版)

 
山下氏勝
時代 戦国時代 - 安土桃山時代 - 江戸時代
生誕 永禄11年4月6日1568年5月12日
死没 承応2年11月20日1654年1月8日[1]
別名 萬壽丸、半三郎
戒名 光遠院道智日賢[1]
墓所 名古屋市千種区平和公園法華寺墓地
官位 信濃守豊後守大和守
主君 内ヶ島氏理豊臣秀吉徳川家康徳川義直
尾張藩
氏族 山下氏
父母 父:山下時慶、母:内ヶ島氏
隆正院[2](志水宗清娘、相応院妹)
氏政、権之助、氏紹、秀氏、時氏
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山下 氏勝(やました うじかつ、1568年 - 1653年)は、江戸時代初期の尾張藩士・幕府役人。幼名に萬壽丸、半三郎[3]信濃守豊後守大和守を名乗る[3]

人物

永禄11年(1568年4月6日飛騨国大野郡白川郷の荻町城において山下時慶の子として生まれる[3]。始めは血族でもある内ヶ島氏理に仕えたが、天正大地震で内ヶ島氏は滅亡、その後豊臣秀吉に仕え、小田原の役においては先鋒を務め、文禄・慶長の役名護屋まで随行した[3]。のち徳川家康に仕え、近江国蒲生郡において所領を安堵された[3]1602年慶長7年)、徳川家康により徳川義直の傳役に取り立てられる[4]。氏勝の妻は、義直の実母である相応院の妹にあたり、その縁で重用されたとされる[4]1607年(慶長12年)に、徳川家康に清洲越しを進言した。

脚注

参考文献




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