言挙げとは? わかりやすく解説

こと‐あげ【言挙げ/言揚げ】

読み方:ことあげ

[名](スル)ことさら言葉出して言いたてること。揚言

葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ)ながら—せぬ国」〈万・三五三


言挙げ

1.神をないがしろにする言葉発して神の怒りをかう。

あいごの若説経3段愛護の若長谷の観音から授かった折、「この子3歳になれば父か母の命を取る」とのお告げがあったが、若が13歳になるまで何事もなかった。母は「神仏偽りを言う。人々偽り言って世を渡れ」と家人らに語る。観音はこれを聞き、母の命を取る。

ギリシア神話アポロドロス第2巻第4章 エチオピアケフェウスの妃カシオペアは自らの美貌誇り、「私は海のニンフたちより美しい」と公言するニンフたちの訴え海神ポセイドン高潮怪物を送る。この災いから逃れるためには、王女アンドロメダ怪物餌食として供えねばならない

しんとく丸説経しんとく丸は、父母どちらかに命の危険があるとの条件で、清水の観音から授かった子であるが、しんとく丸13歳になるまで、父母ともに無事であった。母は「仏でさえ嘘を言う。人々嘘を言え」と家人らに語る。観音はこれを聞き、母の命を取る。

『変身物語』オヴィディウス)巻6 テーバイ女王ニオベは、7男7女・合計14人の子宝に恵まれた〔*ギリシア神話アポロドロス第3巻第5章は、1010女・2男3女・6男6女などの異伝を記す〕。彼女は子沢山誇り、「女神ラトーナ(レト)は、たった2人の子供しか産まなかった。それでは子が無いのも同然だ。だからラトーナなどよりも、むしろ私を女神として礼拝せよ」と人々説く。ラトーナは怒りニオベの子供たちをすべて殺した→〔石〕1a

ヤマトタケル伊吹山白猪→〔1a『古事記』中巻

★2.妖怪幽霊の類も、侮ることはできない

捜神後記7-8通巻85話) 怪異信じぬ男が、「住めば必ず死ぬ」という凶宅を買う。しかし何年住んで平穏無事で、子孫栄え男は昇進する。男は新任地へ引越すことになり、宴会開いて化け物などない。この家は凶宅ではなく、吉宅となった」と演説する。たちまち化け物現れ、男とその家族を殺す。

冥報記 無実の罪殺された男が幽霊となり、自分死罪にした人々次々にとり殺す。陳超という者も関係者だったが、幽霊にわびを入れ、寺に逃げこみ姓名改め無事にすごす。5年後宴会酔って「もう幽霊などこわくないと言うと幽霊現れ、超は死ぬ。

★3.言挙げして殺される

『今昔物語集』巻25-10 平貞道は、駿河国の某を殺すよう依頼されたものの、生返事をして無視していた。後に貞道は偶然、道で某と出会ったが、その時も、貞道に某を害する心はなかった。しかし、某が「我ほどの者を討つことはできまい」と不遜な言を発したため、貞道の心に殺意生じた。貞道はただちに某を追いかけ射殺した

『今昔物語集』巻29-20 強盗が家に押し入ったため、明法博士善澄は板敷の下に隠れる。強盗たちが略奪して帰る時になって、善澄は板敷から這い出て腹立ちまぎれに「顔は皆見た検非違使訴える」と叫ぶ。強盗たちは引き返して善澄を殺す。

★4.言挙げして悪魔呪われる

さまよえるオランダ人ワーグナー第2幕 さまよえるオランダ人は、かつて嵐の海で、ある岬を廻ろうとした時、「これくらい乗り切って見せる」と豪語した。そのため彼は悪魔呪われ以来永遠に海上さすらう運命になった→〔さすらい〕2。

★5a.神や霊などの問いかけ対し、「やれるものならやってみろ」と答えるのも、言挙げの一種であろう

(や)ろか水木しげる図説日本妖怪大全』) 大雨降り続いた時のこと。川上から、しきりに「遣ろか、遣ろか」と声がする。村人たちは気味悪がって沈黙していたが、1人何を思ってか、「よこさばよこせ」と返事をした。すると、にわかに川が増水し見る見るうちに一帯が海のようになってしまった。

★5b.問いかけ怖れ逃げた人は無事で、「やれるものならやってみろ」と挑戦した人は刺された。

赤いはんてん松谷みよ子現代民話考』7「学校ほか」第1章怪談」の6) 某女子大で、夜1130分に一番奥のトイレに入ると、「赤いはんてん着せましょか」という声が聞こえる。何人も学生この声聞いたので、警察来てもらったトイレ入った婦警さんが気の強い人で、「着せられるもんなら着せてみなさい」と言ったところ、ナイフ持った手が出てきて婦警さんの胸を刺した。あたりに血が飛び散って、赤い斑点ができた(東京都)。


言挙げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/27 04:14 UTC 版)

言挙げ(ことあげ)とは、日本神道において宗教教義解釈を「ことば」によって明確にすることを言う。

概要

古事記』の中巻には、伊吹山を討ち取りに出かけたヤマトタケルが白猪に遭い、「これは神の使者であろう。今は殺さず帰る時に殺そう」と「言挙げ」する場面がある。この際の用例が現存最古のものとされる。またこのヤマトタケルによる言挙げがその慢心によるものであったため、神の祟りによって殺されてしまった。このため、次のように解釈されている。

自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされる(「言霊」の項より引用)

ただし、「ことば」は広義には「身振り」など音声以外の要素も含むものであり、「身振り」(所作)を重んじるとする現在の多くの神道諸派も、広義には「ことば」を重視するものとされている(「言語」参照)。

ただし、神道家自身は「神道は言挙げせず」(後述参照)と言明し、現在では神道の理論闘争を避けることが多い。

主な「言挙げ」の歴史

上代(奈良時代)

  • 『古事記』におけるヤマトタケル。前述。
  • 『万葉集』
    • 柿本人麻呂の歌に「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」とある。
    • 蜻蛉島大和の國は神からと言擧げせぬ國しかれども吾は言擧げす  巻十三 作者不詳

古代(平安時代)

延喜式の「神名帳」第九巻・十巻が、神社格式を定める。

中世(鎌倉・室町時代)

  • 吉田兼倶
    • 神道初の理論体系書といわれる『唯一神道名法要集』『神道大意』を著す。
  • 伊勢神宮神道五部書
    • 中世から近世初期にかけて神道の最重要経典となる(ただし近世中期には吉見幸和によって偽書と断定される)。

近世(江戸時代)

  • 山崎闇斎
    • 儒学者として仏教に対抗し、神道と儒教との融合を積極的に推進、垂加神道を提唱、神と人間の関係を儒教的な君臣関係に捉え直した。
  • 平田篤胤
    • 禁書だったキリスト教関係の書を読み、創造神の概念を神道に導入した。『古事記』の解釈にあたり、「造化」(創造)の神として天之御中主神を重視し、同時にスサノオ黄泉の国に行った際に遭った大国主命を幽界(黄泉の国)の支配者と解釈した。世界はこの「幽界」と現実世界とによって構成されていると考え、「顕界」(現実世界)を支配する者としての天皇という概念を創出した。この発想は明治維新の理論的基盤となり、近代初期においては大国主命を祀る出雲派を台頭させた。

近代(明治以降)

  • 神社事務局祭神論争
    • 1880–81年、東京日比谷に新築された神道事務局神殿の祭神をめぐる教理闘争。神道事務局は、事務局の神殿の祭神として「造化三神」(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)と天照大神の四柱を選らんだが、これに対して「出雲派」は「幽顕一如」を掲げて祭神を大国主大神を加えた五柱にすべきと主張した。すったもんだの挙句、結局事態は明治天皇の勅裁により収拾(宮中三殿を遙拝する殿社と決定)、出雲派が事実上敗北した。政府は神道全般に共通の教義の体系の整備の不可能性と、近代国家が復古神道の教義によって民衆を直接に支配することの不可能性とを認識したと言われている。
  • 大石凝真素美
    • 琵琶湖竹生島が人類発祥の地であると主張した。 『大石凝真素美全集』1923年、国華社。
  • 友清歓真
    • 『闢神霧』(1924年)で、『旧約聖書』の一節、預言者イザヤの「シオンよ醒めよ、醒めて汝の力をきよ」を引用し、このシオンは天日の照らす神の国であり、日本であると主張した。
    • 『神道古義』(1936年)で、『旧約聖書』のエホバの神がモーセにシナイ山で語りかけるシーンについて、エホバはスサノオの化身であり、シナイ山上でのラッパの音はスサノオの子である五十猛尊(イタケルノミコト)の眷属が鳴らした法螺貝であると主張した。また五十猛尊の化身はキリストであり、後に日本に降臨して日本武尊(ヤマトタケルノミコト)となったと主張した。
  • 神道史学会
    • 1953年1月1日に学会誌「神道史研究」を創刊した。(現在も継続中)
  • 国家神道の教義の分析
    • 「国家神道」の教義については「国家神道」自身が言明したものが存在しない。しかし菱木政晴は、世界には言語による教義表現を軽視する宗教もあり、比較宗教学文化人類学の成果を用いることによって困難なく抽出可能であるとして以下の3項目にまとめている[1]
1. 聖戦: 自国の戦闘行為は常に正しく、それに参加することは崇高な義務である。
2. 英霊: そうした戦闘に従事して死ねば神になる。そのために死んだ者をまつる。
3. 顕彰: それ(英霊)を模範とし、それに見習って後につづけ。
そして「顕彰教義に埋め込まれた侵略への動員という政治目的を、聖戦教義・英霊教義の宗教的トリックで粉飾するもの」と指摘している。また国家神道の教義の中心を「天皇現人神思想」や「万世一系思想」とする意見もある。

脚注

  1. ^ 菱木政晴国家神道の宗教学的考察 : 顕彰と謝罪」『西山学報』第42号、京都西山短期大学、1994年3月30日、29-49頁。 

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