言挙げ
『あいごの若』(説経)3段目 愛護の若を長谷の観音から授かった折、「この子が3歳になれば父か母の命を取る」とのお告げがあったが、若が13歳になるまで何事もなかった。母は「神仏も偽りを言う。人々も偽りを言って世を渡れ」と家人らに語る。観音はこれを聞き、母の命を取る。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第4章 エチオピア王ケフェウスの妃カシオペアは自らの美貌を誇り、「私は海のニンフたちよりも美しい」と公言する。ニンフたちの訴えで海神ポセイドンは高潮と怪物を送る。この災いから逃れるためには、王女アンドロメダを怪物の餌食として供えねばならない。
『しんとく丸』(説経) しんとく丸は、父母どちらかに命の危険があるとの条件で、清水の観音から授かった子であるが、しんとく丸が13歳になるまで、父母ともに無事であった。母は「仏でさえ嘘を言う。人々も嘘を言え」と家人らに語る。観音はこれを聞き、母の命を取る。
『変身物語』(オヴィディウス)巻6 テーバイの女王ニオベは、7男7女・合計14人の子宝に恵まれた〔*『ギリシア神話』(アポロドロス)第3巻第5章は、10男10女・2男3女・6男6女などの異伝を記す〕。彼女は子沢山を誇り、「女神ラトーナ(レト)は、たった2人の子供しか産まなかった。それでは子が無いのも同然だ。だからラトーナなどよりも、むしろ私を女神として礼拝せよ」と人々に説く。ラトーナは怒り、ニオベの子供たちをすべて殺した→〔石〕1a。
『捜神後記』巻7-8(通巻85話) 怪異を信じぬ男が、「住めば必ず死ぬ」という凶宅を買う。しかし何年住んでも平穏無事で、子孫は栄え男は昇進する。男は新任地へ引越すことになり、宴会を開いて「化け物などない。この家は凶宅ではなく、吉宅となった」と演説する。たちまち化け物が現れ、男とその家族を殺す。
『冥報記』 無実の罪で殺された男が幽霊となり、自分を死罪にした人々を次々にとり殺す。陳超という者も関係者だったが、幽霊にわびを入れ、寺に逃げこみ姓名も改めて無事にすごす。5年後、宴会で酔って「もう幽霊などこわくない」と言うと、幽霊が現れ、超は死ぬ。
★3.言挙げして殺される。
『今昔物語集』巻25-10 平貞道は、駿河国の某を殺すよう依頼されたものの、生返事をして無視していた。後に貞道は偶然、道で某と出会ったが、その時も、貞道に某を害する心はなかった。しかし、某が「我ほどの者を討つことはできまい」と不遜な言を発したため、貞道の心に殺意が生じた。貞道はただちに某を追いかけて射殺した。
『今昔物語集』巻29-20 強盗が家に押し入ったため、明法博士善澄は板敷の下に隠れる。強盗たちが略奪して帰る時になって、善澄は板敷から這い出て、腹立ちまぎれに「顔は皆見た。検非違使に訴える」と叫ぶ。強盗たちは引き返して善澄を殺す。
『さまよえるオランダ人』(ワーグナー)第2幕 さまよえるオランダ人は、かつて嵐の海で、ある岬を廻ろうとした時、「これくらい乗り切って見せる」と豪語した。そのため彼は悪魔に呪われ、以来、永遠に海上をさすらう運命になった→〔さすらい〕2。
★5a.神や霊などの問いかけに対し、「やれるものならやってみろ」と答えるのも、言挙げの一種であろう。
遣(や)ろか水(水木しげる『図説日本妖怪大全』) 大雨が降り続いた時のこと。川上から、しきりに「遣ろか、遣ろか」と声がする。村人たちは気味悪がって沈黙していたが、1人が何を思ってか、「よこさばよこせ」と返事をした。すると、にわかに川が増水し、見る見るうちに一帯が海のようになってしまった。
★5b.問いかけに怖れて逃げた人は無事で、「やれるものならやってみろ」と挑戦した人は刺された。
赤いはんてん(松谷みよ子『現代民話考』7「学校ほか」第1章「怪談」の6) 某女子大で、夜11時30分に一番奥のトイレに入ると、「赤いはんてん着せましょか」という声が聞こえる。何人もの学生がこの声を聞いたので、警察に来てもらった。トイレに入った婦警さんが気の強い人で、「着せられるもんなら着せてみなさい」と言ったところ、ナイフを持った手が出てきて婦警さんの胸を刺した。あたりに血が飛び散って、赤い斑点ができた(東京都)。
言挙げ
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言挙げ(ことあげ)とは、日本の神道において宗教的教義・解釈を「ことば」によって明確にすることを言う。
概要
『古事記』の中巻には、伊吹山の神を討ち取りに出かけたヤマトタケルが白猪に遭い、「これは神の使者であろう。今は殺さず帰る時に殺そう」と「言挙げ」する場面がある。この際の用例が現存最古のものとされる。またこのヤマトタケルによる言挙げがその慢心によるものであったため、神の祟りによって殺されてしまった。このため、次のように解釈されている。
ただし、「ことば」は広義には「身振り」など音声以外の要素も含むものであり、「身振り」(所作)を重んじるとする現在の多くの神道諸派も、広義には「ことば」を重視するものとされている(「言語」参照)。
ただし、神道家自身は「神道は言挙げせず」(後述参照)と言明し、現在では神道の理論闘争を避けることが多い。
主な「言挙げ」の歴史
上代(奈良時代)
- 『古事記』におけるヤマトタケル。前述。
- 『万葉集』
- 柿本人麻呂の歌に「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」とある。
- 蜻蛉島大和の國は神からと言擧げせぬ國しかれども吾は言擧げす 巻十三 作者不詳
古代(平安時代)
中世(鎌倉・室町時代)
- 吉田兼倶
- 神道初の理論体系書といわれる『唯一神道名法要集』『神道大意』を著す。
- 伊勢神宮の神道五部書
- 中世から近世初期にかけて神道の最重要経典となる(ただし近世中期には吉見幸和によって偽書と断定される)。
近世(江戸時代)
近代(明治以降)
- 神社事務局祭神論争
- 大石凝真素美
- 友清歓真
- 『闢神霧』(1924年)で、『旧約聖書』の一節、預言者イザヤの「シオンよ醒めよ、醒めて汝の力をきよ」を引用し、このシオンは天日の照らす神の国であり、日本であると主張した。
- 『神道古義』(1936年)で、『旧約聖書』のエホバの神がモーセにシナイ山で語りかけるシーンについて、エホバはスサノオの化身であり、シナイ山上でのラッパの音はスサノオの子である五十猛尊(イタケルノミコト)の眷属が鳴らした法螺貝であると主張した。また五十猛尊の化身はキリストであり、後に日本に降臨して日本武尊(ヤマトタケルノミコト)となったと主張した。
- 神道史学会
- 1953年1月1日に学会誌「神道史研究」を創刊した。(現在も継続中)
- 国家神道の教義の分析
- 1. 聖戦: 自国の戦闘行為は常に正しく、それに参加することは崇高な義務である。
- 2. 英霊: そうした戦闘に従事して死ねば神になる。そのために死んだ者をまつる。
- 3. 顕彰: それ(英霊)を模範とし、それに見習って後につづけ。
- 1. 聖戦: 自国の戦闘行為は常に正しく、それに参加することは崇高な義務である。
- そして「顕彰教義に埋め込まれた侵略への動員という政治目的を、聖戦教義・英霊教義の宗教的トリックで粉飾するもの」と指摘している。また国家神道の教義の中心を「天皇現人神思想」や「万世一系思想」とする意見もある。
脚注
- ^ 菱木政晴「国家神道の宗教学的考察 : 顕彰と謝罪」『西山学報』第42号、京都西山短期大学、1994年3月30日、29-49頁。
関連項目
外部リンク
品詞の分類
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