しんとう‐ごぶしょ〔シンタウ‐〕【神道五部書】
しんとうごぶしょ 【神道五部書】
神道五部書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 16:24 UTC 版)
神道五部書(しんとうごうぶしょ)とは、伊勢神道(度会神道)の根本経典で、以下の5つの経典の総称である。
- ^ 日本史用語研究会『必携日本史用語』実教出版(原著2009年2月2日)、四訂版。ISBN 9784407316599。
- 1 神道五部書とは
- 2 神道五部書の概要
神道五部書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 20:46 UTC 版)
鎌倉時代に伊勢神宮で編纂された「神道五部書」には、内宮と外宮の主な社殿と祭神が記されている。その一つ、『御鎮座伝記』では内宮について、「御倉神(みくらのかみ)の三座は、スサノオの子、ウカノミタマ神なり。また、専女(とうめ)とも三狐神(みけつかみ)とも名づく。」と記される。 外宮についても、「調御倉神(つきのみくらのかみ)は、ウカノミタマ神におわす。これイザナギ・イザナミ 2柱の尊の生みし所の神なり。また、オオゲツヒメとも号す。また、保食神(うけもちのかみ)とも名づく。神祇官社内におわす御膳神(みけつかみ)とはこれなるなり。また、神服機殿に祝い祭る三狐神とは同座の神なり。故にまた専女神とも名づく。斎王専女とはこの縁なり。また、稲の霊もウカノミタマ神におわして、西北方に敬いて祭り拝するなり。」と記される。 記紀神話に登場する食物神は、天照大神や天皇の食事を司ることから「御饌津神」(みけつかみ)とも呼ばれるが、ウカノミタマには「三狐神」の字が当てられている。これは関西方言では狐を「ケツ(ネ)」と呼んだことから付けられたといわれる。 また、『日本書紀』ではウカノミタマを倉稲魂命と表記し、伊勢神宮でも御倉神として祀られることから、この神は五穀の神である食物神の中でも、特に稲倉に関係の深い神ではなかったかとも考えられている。
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神道五部書
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(一)天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記 (あまてらしますいせにしょこうたいじんぐうごちんざしだいき) 略して「次第記」とも呼ばれる。永仁3年(1295年)以前の成立。伊勢両宮の祭神の神格と鎮座に至る歴史を記したもの。 (二)伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記 (いせにしょこうたいじんぐうごちんざでんき) 略して「伝記」とも呼ばれる。弘安8年(1285年)以前の成立。伊勢両宮の鎮座の経緯を示す。 (三)豊受皇太神御鎮座本紀 (とようけこうたいじんごちんざほんき) 略して「本紀」とも呼ばれる。『御鎮座伝記』と同時期の成立。外宮の鎮座の経緯などが示され、内宮と外宮の関係が述べられている。 (四)造伊勢二所太神宮宝基本紀 (ぞういせにしょだいじんぐうほうきほんき) 略して「宝基本紀」とも呼ばれる。鎌倉時代初期成立。五部書の中で最も早く完成した。先の三書が歴史的な記述を主とするのに対して、この書は教義的な内容が主張されている。千木や棟など、両宮の建築物の形状に関して神秘的な解釈を加えていることが本書の特徴である。 (五)倭姫命世記 (やまとひめのみことせいき/やまとひめせいき) 鎌倉時代初期から中期に成立。『宝基本紀』に次いで完成した。日本書紀によると、倭姫命は11代垂仁天皇の皇女で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の御杖代(みつえしろ)として各地を巡行し、伊勢の地で神宮を創祀した。「神道五部書」の一つであるこの書には、度会(わたらい)郡(度会町、大紀町、玉城町、南伊勢町)を中心とする倭姫命の足跡が数多く記されている。この教典は、『宝基本紀』とともに教義的な内容が明確に主張されている。成立は中世であるが、編述に際しては神宮の古伝承が包摂されたと考えられており、江戸時代の国学者御巫清直の研究により、神宮の古記録をまとめた『大神宮本記』をもとに作られた『大同本記』に依拠して著述されたと推定された。近年では『倭姫命世記』の作者が依拠した古伝承の範囲も確かめられつつあり、五部書の中では最も研究が進んでいる。
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