反本地垂迹説とは? わかりやすく解説

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はんほんじすいじゃくせつ 【反本地垂迹説】

日本の仏教説いた本地垂迹説(神の本地本体は仏・菩薩であるとする説)に対し、それは逆で仏・菩薩本地本体こそ神であるとする主張鎌倉の頃から出てきた。→ 本地垂迹

反本地垂迹説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 23:01 UTC 版)

本地垂迹」の記事における「反本地垂迹説」の解説

鎌倉時代中期には、逆に仏が神の権化で、神が主で仏が従うと考え神本仏迹説現れた。神道側の仏教から独立しようという考えから起こったのである伊勢神宮外宮神官である度会氏は、神話神事整理再編集により、『神道五部書』を作成伊勢神道度会神道)の基盤作った伊勢神道においては現実肯定する本覚思想を持つ天台宗教義流用されて神道理論化試みられ、さらに空海に化託した種類理論書再編され度会行忠・家行により体系づけられた。 反本地垂迹説は、元寇以後の、日本は神に守られている「神の国」であるとする神国思想のたかまりの中で、ますます発展していった。 南北朝時代から室町時代には、反本地垂迹説がますます主張され天台宗からもこれに同調する者が現れた。慈遍は『旧事本紀玄義』や『豊葦原神風和記』を著して神道改宗し良遍は『神代巻私見聞』や『天地麗気記聞書』を著し、この説を支持した吉田兼倶は、これらを受けて唯一神道名法要集』を著して、この説を大成させた。しかし鎌倉期新仏教はこれまで通り本地垂迹説支持した

※この「反本地垂迹説」の解説は、「本地垂迹」の解説の一部です。
「反本地垂迹説」を含む「本地垂迹」の記事については、「本地垂迹」の概要を参照ください。

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