反朴正煕運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 22:12 UTC 版)
過去に反朴正煕運動を行っており、鄭大均は「双方の独裁に触れながらも、反独裁の実践はもっぱら南にのみ向けられる」事例として和田の1982年の論文を挙げており、独裁国家論(北朝鮮論)の多くは、このような韓国・朝鮮論の形をとっているとしている。 独裁政権でも北朝鮮は批判せず、軍事政権時代の韓国のことは厳しく批判しており、金大中拉致事件の救命運動を行っていた。このことから軍事政権時代は韓国から要注意人物としてマークされており、韓国に入国できなかったが、アジア女性基金に加わる際に外務省の口利きで入国できるようにり、東大退職後の1998年春から年末まで5回、訪韓している。
※この「反朴正煕運動」の解説は、「和田春樹」の解説の一部です。
「反朴正煕運動」を含む「和田春樹」の記事については、「和田春樹」の概要を参照ください。
- 反朴正煕運動のページへのリンク