神祇院(じんぎいん)
神祇院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/11 16:03 UTC 版)
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神祇院 | |
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日本語: 神祇院 | |
組織の概要 | |
設立年月日 | 1940年11月9日 |
継承前組織 |
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解散年月日 | 1946年1月31日 |
継承後組織 | |
本部所在地 | 東京市麹町区霞ヶ関1-2 |
行政官 | |
上位組織 | 内務省 |
主な文書 |
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神祇院(じんぎいん)は、かつてあった日本の国家機関のひとつ。内務省の外局。
昭和初期の神祇官興復運動、神祇特別官衙設置運動[1]を受けて、1940年(昭和15年)の皇紀2600年記念に際して設置された。敬神思想の普及に努めたが特に目立った成果をあげないまま、敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)からの神道指令を受けて、1946年(昭和21年)1月31日限りで廃止された[2]。
神祇院の設置
神祇院官制(昭和15年勅令第736号)により、1940年(昭和15年)11月9日、内務省神社局が昇格し、同省の外局として設置される。所在地は東京市麹町区霞ヶ関一丁目二番地(内務省庁舎)[3]。
総裁は内務大臣が兼務する[4]ものと定められ、初代総裁には安井英二内務大臣が就任。副総裁には、飯沼一省神社局長が就任し、廃止までその任に当たった。
総裁官房及び総務局、政務局が置かれ、神宮に関する事項、官国幣社以下神社に関する事項、神官および神職に関する事項、敬神思想の普及に関する事項を掌る[5]こととされた。
神道指令と神祇院の廃止
1945年(昭和20年)12月15日にGHQが政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)を受け、神祇院は廃止されることとなり、行政整理実施ノ為ニスル内務省官制中改正等ノ件(昭和21年勅令第59号)により、1946年(昭和21年)1月31日限りで神祇院官制は廃止された。
1946年2月2日公布、同日施行の「「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件ニ基ク宗教法人令中(昭和21年勅令第71号)附則第2項の規定により、神社明細表記載の神社及び靖国神社は、宗教法人とみなされ、旧官国幣社の一部を除きほとんどの神社は、皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会によって2月3日に設立された宗教法人神社本庁と被包括関係となった[要出典]。
参照
参考文献
- 国立国会図書館 デジタルコレクション 神社祭式行事作法 内務省神祇院教務局祭務課編集 昭和17年 書誌ID 000000664653 P15 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040190/1
- 国立国会図書館 デジタルコレクション 告示 / 内務省 / 第76号 / 神社祭式行事作法 明治40年 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950545
- 国立国会図書館 デジタルコレクション 神社局時代を語る 神祇院教務局調査課 昭和17年 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1057614
- 国立国会図書館 デジタルコレクション 神社本義 神祇院編集 昭和19年 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040153
- 国立国会図書館 デジタルコレクション 神奈川県内政部 / 神社祭式行事作法解説 昭和18年 P21 22 23 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097500
関連項目
神祇院
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「神域のカンピオーネス」の記事における「神祇院」の解説
高司 日那子(たかつかさ ひなこ) 神祇院の最高責任者『御巫筆頭』。端然とした気品と年齢なりの美を備えた老婦人で、昔は誰もが振り返るような美人であったと確信できる容姿。結構やんごとない血筋のお姫さまで、長年《媛巫女》のつとめを果たしてきた。 組織の長と言っても名目だけで実権はなかった。だが、神祇院本部に張られた結界を破った蓮を“はとこの息子”と言って庇ったのがきっかけで蓮やカサンドラと親しくなり、蓮の親戚という設定を貫いたことで、“サンクチュアリ・黄泉比良坂”の事件後は役職相応の権力を発揮できるようになった。 清秋院 真希(せいしゅういん まき) 神祇院本部付けの監察官。秩父の由緒ある呪術の名家である『清秋院』の出身。梨於奈の上司であり、父親同士が兄弟の従姉妹。年齢は20代半ば、手をかけてなそうなショートヘア、赤いフレームのメガネをかけている。よくも悪くもかしこまらない性格であり、雰囲気も緩くにこやかで、格好がラフなので宮仕えしているようには見えない。明治時代に先祖が海外留学をした時にチェーザレ・ブランデッリに謁見した縁から、家ぐるみでブランデッリ一族とは付き合いがあり、ジュリオとも昔から知り合い。日那子とは子供の頃から親戚同然のつきあいをしてきた気安い関係。 初恋もまだであろう梨於奈の婚約報告には、「物理的にあり得ない」「宇宙の法則に反している」と失礼なことを口走りつつ呆然とした。 なお、《ユニバース235》にも別の清秋院家が存在するが、こちらの清秋院家とは違って呪術者を統括する組織『正史編纂委員会』に対して大きな影響力を持っている。 鳥羽 梨於奈(とば りおな) 詳細は「#鳥羽梨於奈」を参照 鳥羽 芙実花(とば ふみか) 詳細は「#鳥羽芙実花」を参照 鳥羽 ゆとり(とば ゆとり) 梨於奈の母。鳥羽一門の先代の長であり、4年前に周囲からの期待に応える形で、資質にすぐれ覇気あふれる娘にその役目を譲る。長女によく似たスリム体型だが、極めて浮世離れしておっとりした性格で、やわらかな顔つきにそれが現れている。 娘の急な婚約には当初は反論したものの、簡単な説得だけであっさり納得して婚姻を了承する。 鳥羽 文彦(とば ふみひこ) 梨於奈の父。鳥羽家の入り婿で、旧姓は「清秋院」。妻と同じく極めて浮世離れした性格。民俗学、考古学、比較文化学にも通じていて、生家で学んだ術は活かさず、京都の大学で教鞭を取るかたわら、バイトでこっそり真偽あやしい歴史トンデモ話を書きとばすライター仕事にも精を出しており、しばしば副業を手伝わせている長女からは、そろそろ学会を追放されないかと心配されている。口数は多めだが、会話の途中でまったく別方向に話題を振ることが多い。 飛鳥井 猛(あすかい たける) 飛鳥井家の総領息子である20代後半の青年。熊野鴉衆をひきいる『熊野の長』。神経質そうな細身の男性。前当主の孫で、先代が3年前に老衰で亡くなり跡を継いだ。 《八咫烏》の系譜につらなる正当な継承者でありながら、八咫烏の転生である梨於奈の1パーセントの力も使うことができず、彼女に対して鬱屈した気持ちを抱えている。一方の梨於奈からは毎年の総会で顔を合わせているのに存在すら忘れられている。梨於奈曰く「『男のプライド』みたいなものは必要以上に持っていそうなのに、ずいぶんとひよわな男性」、末御門店主曰く「飛鳥井家のぼんぼん」。仮にも呪術の一門を預かる使い手で、相手の呪力を漠然と察せられるだけの鋭さはあり、並レベルの呪術戦なら役立つ術も使えるものの、神や神殺しレベルの戦いに身を置く者には太刀打ちできない程度の実力しかない。 神祇院の理事たちを説き伏せて梨於奈へ私怨を晴らす許可を与えられ、帰国した彼女を湯島天神で襲撃するが、吐息1つで敗北。リベンジのため部下を連れてカサンドラの誘拐を目論むも、相手の思いがけない格闘センスの前に当初から計画が躓き、謝罪する機会を与えるため善意から敢えて連れ去られた王女を取り戻しに来た蓮たちに圧倒され、切り札として実家から持ち出した神宝『千引巌』も無効化されてしまう。最後の手段で己の命をかけようとするが、己の誇りのために臣下を顧みない姿勢を見かねたカサンドラに延髄をしたたかに蹴り抜かれて失神、痛烈なお説教を受ける。それでも諦めずに禁を破って本体の封印を解き、神祇院の本部を襲撃するが、自らが顕現させた黄泉醜女に食い殺されるという因果応報の最期を遂げた。 末御門店主 でっぷり太った大男だが、髪は長く、ゆったりしたドレスを着ているというハチャメチャなオネエ店主。東京都文京区湯島で純喫茶『M』を営む傍ら、陰陽道・末御門家の頭領として帝都東京の治安を守っている。梨於奈の決して多くはない“盟友”で、彼女の生意気な性格も割と好んでいる。
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