GHQの国家神道観とそれに対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 06:17 UTC 版)
「国家神道」の記事における「GHQの国家神道観とそれに対する批判」の解説
GHQから見た「国家神道」は、軍国主義、超国家主義(ウルトラナショナリズム)に思想的に裏付けられた危険思想であり、以下に挙げる理由をもとに、日本の支配を他国民や他の民族に及ぼそうとする日本人の使命を擁護し、正当化する教え、信仰、理論を包含するものであると定義している。 日本の天皇は、その家系、血統あるいは特殊な起源を持つがゆえに、他国の元首よりも優れているとの教義(doctrine)。 日本の国民は、その家系、血統あるいは特殊な起源を持つがゆえに、他国民よりも優れているとの教義。 日本列島は、その神性や特殊な起源を持つがゆえに、他国よりも優れているとの教義。 その他、日本国民を騙して侵略的戦争を始めさせたり、他国民との紛争を解決する手段としての武力の行使を美化するような、あらゆる教義。 これらはいずれも、太平洋戦争敗北後に昭和天皇の発した「新日本建設に関する詔書」、通称「人間宣言」によって否定された。 このようなGHQの国家神道観は、日本の占領政策において宗教政策を担当したアメリカの宗教学者D・C・ホルトム(英語版)の論理や意見が大きな影響を与えている。ホルトムは、加藤玄智の神道論に影響を受けており、加藤は神道を「国家的神道」「宗派的神道」に分類し、さらに「国家的神道」を「神社神道」と「国体神道」に分類した。ホルトムは、これに影響を受けつつ、加藤の主張した「神社神道」と「国体神道」とを同一視し、国家神道を神社神道を同一視して定義した。 同じく占領期の宗教政策に関する助言を行なったアメリカの宗教学者ウィリアム・ウッダードは、このようなGHQの国家神道理解に疑義を呈し、「国家神道 (State Shinto) 」とは単に神社の国家管理状態を指すものでしかなく、1930年代から1940年代初期に、国民に強制された超国家主義的・軍国主義的教義・儀礼・慣行は、神道とは全く区別される、別箇かつ独立の現象であって、 神道の一派ではないとし、そのようなイデオロギーを「国体狂信主義( State Cult, Kokutai Cult )」と総称し、「国家神道」とは明確に区別されるものとした。 また、GHQの占領政策において、GHQの担当者と折衝に当たった日本の宗教学者である岸本英夫は『戦後宗教回想録』所収の「嵐の中の神社神道」で、GHQの国家神道観を、「国家神道を偏狭な国家主義思想に凝り固まった、きわめて煽動的な宗教であるとみなすことが、世界の強い一般的な世論になっていた」「ある意味では、連合国側では、国家神道の力を過大評価していたともいえよう。自らがえがき出した、国家神道の幻影におびえていたとも見られる」「官国幣社の神官以外に、いわゆる挑発的な国家主義の指導者はたくさんいたにもかかわらず、彼らは、神官こそ偏狭な国家主義思想の煽動者であったと信じ込んでいた」「神社といえば、すべて官国幣社的性格をもっていて、直接に国家によって管理経営されているものと考えていた」「官社と民社との区別を知らず、しかも神社の数からいえば、 官国幣社はきわめて少数で、その大部分が民社であるというようなことは知らなかった。すべての神社を、一まとめにして、官国幣社なみに考えていたのである」などと回想している。
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