GHQの影
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:21 UTC 版)
占領下で発生した帝銀事件の捜査にはGHQが大きく関与していた。その関与の度合いについては、 協力説:GHQは日本の警察の捜査に協力はしたが、圧力や介入はなかった。 介入説:GHQは旧731部隊の情報や要員を独占するため、警察の捜査に介入した。 謀略説:帝銀事件そのものがGHQ内部の一部の者たちによる謀略活動であった。 など、さまざな説が今も主張されている。 1948年(昭和23年)10月29日に行われた帝銀事件捜査本部打上げ式において、田中栄一警視総監は「本事件に対してGHQ公安課の絶大な御協力を頂いた」との挨拶を述べ、同事件捜査本部長であった藤田次郎刑事部長も「本事件発生直後から逮捕に至るまで、また逮捕後においても、最高司令部公安課当局(PSD)の懇切な指導と援助を賜った」、「公安課のイートン主任警察行政官の指示で作成したモンタージュ写真が、平沢逮捕の上で有力な手がかりとなった」との内容の挨拶を述べている。この式にはGHQ公安当局の担当者も出席しており、占領下で発生した帝銀事件の捜査にGHQが大きく関与していたことが伺える。
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