GHQ占領下時代とは? わかりやすく解説

GHQ占領下時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:04 UTC 版)

日本映画」の記事における「GHQ占領下時代」の解説

1945年日本第二次世界大戦に敗北すると、GHQ連合国軍最高司令官総司令部)による日本間統治開始された。日本製作される映画GHQ下部組織CIE民間情報教育局)によって管理されることとなった。この管理体制1952年まで続き日本映画界において、初め外国機関による管理制御実施され特異な期間となった企画と脚本段階で英語に翻訳しCIE許可されたもののみ製作がなされた例えば、黒澤明の『暁の脱走』(1950年)は当初山口淑子満映李香蘭主演朝鮮人従軍慰安婦描いた作品としていたが、数十回に及ぶCIE検閲により、原形留め作品となってしまっている。完成したフィルムCCD民間検閲支隊)により二度目検閲が行われた。また、この検閲過去映画作品遡って実施された。 また、占領政策一環として戦争責任問題映画業界にも波及し戦時中映画製作において戦争協力者追放すべしとの声が叫ばれ始めると、川喜多長政根岸寛一城戸四郎といった戦意高揚映画携わった人物1947年映画界追放とされた。しかし他のジャンルにおける追及同じく映画業界においても戦争責任所在曖昧に処理され上記処置1950年には解除されている。 戦後最初に公開され映画佐々木康による『そよかぜ』で、並木路子による主題歌リンゴの唄』が大ヒットした。 CIEデヴィッド・コンデによって1945年発布された製作禁止リストにおいて、国家主義愛国主義自殺仇討ち残忍な暴力映画など禁止項目となり、時代劇の製作は事実上不可となったこの影響時代劇生業としていた俳優現代劇出演するうになる片岡千恵蔵の『多羅尾伴内』、阪東妻三郎の『破れ太鼓』、稲垣浩の『手をつなぐ子等』、伊藤大輔の『王将』などがそれにあたる。 また、GHQ主導勧められ民主主義礼讃作品としてプロパガンダ映画多数製作された。その中で黒澤明の『わが青春に悔なし』(1946年)、吉村公三郎の『安城家の舞踏会』(1947年)、今井正の『青い山脈』などに出演した原節子西洋的な新時代幕開け象徴するスターとして国民的な人気博した佐々木康の『はたちの青春』(1946年)では日本映画最初のキスシーンが撮られた。 1945年11月16日GHQは「非民主主義的映画排除指令に関する覚書」を交付した11月19日超国家主義的・軍国主義的封建主義思想映画236本の上禁止焼却指令発表した1946年1月28日GHQは「映画検閲に関する覚書」を出し民間検閲課による検閲開始8月13日記録映画日本の悲劇上映禁止通告

※この「GHQ占領下時代」の解説は、「日本映画」の解説の一部です。
「GHQ占領下時代」を含む「日本映画」の記事については、「日本映画」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「GHQ占領下時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「GHQ占領下時代」の関連用語

GHQ占領下時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



GHQ占領下時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本映画 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS