GHQの検閲と時代劇製作の制限
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「時代劇」の記事における「GHQの検閲と時代劇製作の制限」の解説
1945年(昭和20年)の太平洋戦争終結後、日本が連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の占領統治下に置かれると、GHQは教育文化政策を担当する民間情報教育局(CIE)を設置し、さらに民間検閲支隊(CCD)を置いて、日本映画は二重の検閲を受けることとなった。その政策により、CIEから日本映画に対して13の規制項目が出されて(これが俗にチャンバラ禁止令と呼ばれている)、日本刀を振り回す剣劇(チャンバラ時代劇)は軍国主義的であり、敵討ちなど復讐の賛美がアメリカ合衆国に対する敵対心を喚起する要素がある映画は一時製作が制限された。チャンバラ場面が禁止されたため、阪東妻三郎や片岡千恵蔵などの時代劇スターは現代劇に主演し、戦前『鞍馬天狗』をヒットさせた嵐寛寿郎の場合は剣戟の無い推理物の時代劇『右門捕物帳』でしか、舞台も映画もできなかったと語っている。しかしそんな時代でも時代劇は製作していた。戦後最初に作られた時代劇は丸根賛太郎監督の『狐の呉れた赤ん坊』で終戦の年の10月に公開されている。この数々の制約を受けた特定の時期に撮影が出来た時代劇は傾向として次の4つが挙げられる。1番目は俗に「戦争反省映画」と言われているもので時代劇では嵐寛寿郎主演で稲垣弘監督『最後の攘夷党』などで、幕末の攘夷運動に加わった浪士が西洋人に助けられて排外主義の愚かさに気づくストーリーであった。2番目は「既成のヒーロー像の破壊」であり、あるいはそれまでの任侠のイメージを変えるものとして松田定次監督『国定忠治』や吉村公三郎監督『森の石松』があり、特に『国定忠治』は正義感の強い民主主義的な人物として描かれていた。3番目は「剣戟や立ち回りシーンの無いもの」で市川右太衛門主演『お夏清十郎』などの恋愛ものがその例であり、4番目はその「剣戟や立ち回りシーンを回避した映画」で前述の『右門捕物帳』や伊藤大輔監督、阪東妻三郎主演『素浪人罷通る』などであった。しかし戦前からの時代劇を見慣れた観客にとっては「肝心なところが欠けている」と見なされていた。
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