建水分神社とは? わかりやすく解説

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たけみくまり‐じんじゃ【建水分神社】

読み方:たけみくまりじんじゃ

大阪府南河内郡千早赤坂村にある神社祭神天水分神(あめのみくまりのかみ)・天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)ほか。境内には、楠正成(くすのきまさしげ)をまつる南木(なんぼく)神社がある。


建水分神社

建水分神社
たけみくまり

通称 スイブンさん

鎮座地 大阪府南河内郡千早赤坂村水分357 
ご祭神中殿天御中主神
   (左殿)天水分神罔象女神
   (右殿)国水分神瀬織津姫神
 建水分神社は大字水分宮山鎮座する延喜式神名帳に「河内国石川郡建水分神社」とある。創建は祟神天皇の五年、諸国餓えて百姓農事怠ったとき、諸国池溝穿ち農事勧められたが、この時、金剛の一支脈山麓下に水神として水分神創祀された。祭神としては諸書いずれも建水分神をあげ、古事記に「天之水分神国之水分神」とし、神社覈録には「建水分は多  気美久麻理と訓べし」となっている。
南遊記事、大日本史神祇志等によれば古来水分明神」と呼び一つ上水分宮又は上折方宮と称されている、これらの称呼喜志村美具久留御魂神社が、下水分宮又は下折方宮等と呼ばれたことに対となっている。歴代天皇尊崇厚く延元二年四月二十七日には正一位授けられる
 後醍醐天皇楠木正成に勅して、もと山下   なる今の字下の宮にありしを現地神殿拝  殿鐘楼等を造営遷座され、且稲田若干寄  進して神供充てしめ給ひきという。その時  以来金剛山鎮守付近十八産土神  として氏子崇敬が厚い。後織田氏のために  社領二百五十貫没収されて、社頭衰えた  が豊臣秀吉から再び田地寄進があり、深く  崇敬するところとなった
 社殿建武元年九月楠木正成の勅を奉じて再営されたところで、本殿春日造桁行梁間一間左右殿は流造桁行二間梁間一間で、三殿並び屋根桧皮葺本殿左右殿とは渡廊をもって連続し、渡廊の屋根は、桧皮葺になっている明治三十三年四月別保建造物指定を受ける。明治六年社格制定のとき、当地産土神の故をもって郷社昇格する
 摂社南木神社(なぎじんじゃご祭神は、楠木正成公。素木桧皮葺お社で、楠木正成木造祀る由緒によれば延元元年九月正成の湊川戦死するや、後醍醐天皇悼惜限りなく、翌二年四月自ら其の像を刻み当社祀りもって公の誠忠無窮に伝へしめ給ひしもの即ち当社にて、後元十年領主近江石川総茂神殿再建し木像厨子加えたのが今の社殿である。退私録に「奉祀木像束帯儼然当時遺影、称南木神社正平帝所レ賜号也」とあるように、南木神社神号後村上天皇より賜りしものである
建水分神社に合祀された神社
鎮座地 神社名 ご祭神 備考
大字森屋垣外 村社 森谷神社 素盞鳴命 明治40年9月12日合併
大字川野辺宮山 村社 八幡神社 応神天皇天照大神
田心姫命
     〃
大字桐山築山 村社 桐山神社 伊弉諾尊伊弉册命      〃
大伴村大字板持宮山 村社 厳島神社 市杵島姫命 明治40年10月19日合併
 〃 大字別井松葉 村社 別井神社 素盞鳴命      〃
 〃 大字イカノ内 村社 別井神社 素盞鳴命      〃
中村大字中字宮の浦 村社 中村神社 天児屋根命、斉主神思兼命      〃
 〃大字馬谷長峯 村社 馬谷神社 国常立命      〃
 〃大字芹生谷藤山 村社 奥谷神社 伊邪那美命天水分神      〃
 〃大字寛弘寺水汲 村社 水汲神社 天水分神地水分神      〃
河内村大字弘川字龍池 村社 弘川神社 国常立命伊弉諾命
中筒男命伊弉冊命
明治40年10月21日合併
 〃 大字上河内石見町 村社 立岩神社 天照大神天児屋根命
八幡大神
明治40年10月26日合併
白木村大字白木北の山    白木神社  素盞鳴命 明治40年10月30日合併
 〃 大字寺田権現山 村社 八阪神社 素盞鳴命      〃
河内村大字下河内神山 村社 河内神社 神日本磐余彦命 明治40年11月9日合併
白木村大字加納戸立 村社 加納神社 罔象女命 明治40年11月11日合併
彼方村大字板持字尾の上 村社 板茂神社 素盞鳴命大己貴命
応神天皇安閑天皇
明治40年11月13日合併

建水分神社

読み方:タケミクマリジンジャ(takemikumarijinja)

別名 水分神社

教団 神社本庁

所在 大阪府南河内郡千早赤阪村

祭神 天御中主神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

建水分神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/03 07:17 UTC 版)

建水分神社


拝殿

所在地 大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分357
位置 北緯34度27分37.2秒 東経135度37分55.3秒 / 北緯34.460333度 東経135.632028度 / 34.460333; 135.632028 (建水分神社)座標: 北緯34度27分37.2秒 東経135度37分55.3秒 / 北緯34.460333度 東経135.632028度 / 34.460333; 135.632028 (建水分神社)
主祭神 天御中主神
天水分神
罔象女神
国水分神
瀬織津姫神
社格 式内社(小)、旧府社
創建 崇神天皇5年
本殿の様式 水分造
別名 上水分社
例祭 4月25日
10月第三土曜日
地図
建水分神社
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建水分神社(たけみくまりじんじゃ)は、大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分(すいぶん)にある神社式内社で、旧社格府社。通称水分神社(すいぶんじんじゃ)。水分大明神上水分社(うえのすいぶんのやしろ)とも称する。古より金剛山の鎮守として、また、楠木氏氏神として崇敬された。当社は錦織神社富田林市)、美具久留御魂神社(下水分社、富田林市)とともに「河内国の三水分(みくまり)社」と呼ばれている。

祭神

中殿に天御中主神、左殿に天水分神罔象女神、右殿に国水分神瀬織津姫神を祀る。このうち天御中主神以外は水神である。

歴史

社伝によれば、崇神天皇5年(紀元前92年)に諸国が飢饉となった際、天皇は各地に溜池や溝を作ることを勧められた。この時に金剛山の山麓に水分神が祀られたのに始まる。延長5年(927年)に編纂された延喜式神名帳に「河内国石川郡 建水分神社」と記載されている。「上水分社」の呼称は、美具久留御魂神社富田林市宮町)を下水分社と称するのに対応したものである。

また、『日本三代実録』には貞観5年(863年)に正五位下、貞観16年(874年)に従四位下、元慶3年(879年)に従四位上が朝廷より授けられたとある。

元の鎮座地は現在地より北約100mの水越川のほとりにあったが、当社を氏神としている地元の侍の楠木正成鎌倉幕府に抵抗した後醍醐天皇側に付き、赤坂城の戦い、次いで千早城の戦いを近辺で繰り広げたために兵火に掛かって荒廃した。このため建武元年(1334年)に後醍醐天皇の勅命を受けた楠木正成により、現在地に本殿、拝殿、鐘楼などを再建し遷座した。延元2年(1337年4月27日、最高位である正一位神階を授けられた。またこの年、楠木正成を祀る南木神社が摂社として境内に設けられている。

延元5年/暦応3年(1340年)に正成の嫡男正行が当社に奉納した扁額には「左衛門少尉」の自筆が記されている。

戦国時代織田信長による河内国侵攻の際には拝殿などが戦火を受けて焼失し、社領を没収されてしまい衰退するが、豊臣秀吉が社領を寄進し復興された。

1873年明治6年)の近代社格制度制定の際に付近18ヵ村の総鎮守産土神の故を以て郷社に列格した。1907年(明治40年)に神饌幣帛料供進社に指定され、氏子地域内にある17の神社を合祀し、1913年大正2年)に府社に昇格した。

戦前、楠木正成は天皇のために尽くした忠臣として大いに称えられたため、当社と摂社・南木神社には多くの参拝者が訪れた。

境内

  • 本殿 3棟 - 本殿は三殿で構成されている。中殿は一間社春日造で左右両殿は二間社流造、それを渡廊で連結させるという全国でも唯一の珍しい様式で「水分造」とも呼ばれている。構造の細部も優秀巧緻で建築上の模範とされる。1900年明治33年)に大阪府神社建築として初めて古社寺保存法に基づく特別保護建造物(現行法の「重要文化財」に相当)に指定され、1950年昭和25年)、文化財保護法施行に伴い重要文化財となった。通常は非公開である。
    • 中殿(重要文化財) - 建武元年(1334年)に後醍醐天皇の勅命で楠木正成により再建。
    • 左殿(重要文化財) - 建武元年(1334年)に後醍醐天皇の勅命で楠木正成により再建。
    • 右殿(重要文化財) - 建武元年(1334年)に後醍醐天皇の勅命で楠木正成により再建。
  • 神門
  • 幣殿
  • 拝殿(割拝殿)
  • 大鳥居 - 元禄3年(1690年)造立。笠木の長さ10.6m、高さ7.1mで近代以前の石造鳥居としては全国有数の規模とされる。掛けられている勅額「正一位 水分大明神」は後醍醐天皇の宸筆である。もともとは楠木正行が奉納した後醍醐天皇宸筆の勅額が掛けられていたが、木製のため額の表面が摩滅してしまったので宝永2年(1705年)に前大納言・葉室頼孝が磨滅した後醍醐天皇筆の文字をなぞって金銅製にて作り直したものが現在掛けられているものである。
  • 狛犬 - 万延元年(1860年)造立。石造の狛犬としては大阪府下で最大級である。
  • 鐘楼 - 神仏習合時代の名残である。太平洋戦争中に金属類回収令により寺院などから梵鐘が供出されていくなか、当社は楠木正成ゆかりの神社であったためか、梵鐘の供出は免れた。
  • 祭器庫
  • 旧宝物庫(国登録有形文化財
  • 神輿庫
  • 旧絵馬堂
  • 社務所
  • 境外
    • 御旅所 - 当社の北西約1kmの地にある。
      • 御旅所古墳
      • 御旅所北古墳

摂末社

  • 南木神社(なぎじんじゃ) - 祭神:楠木正成。摂社。詳細は「南木神社」を参照。
    • 本殿(国登録有形文化財)
    • 幣殿(国登録有形文化財)
    • 拝殿(国登録有形文化財)
    • 築地塀(国登録有形文化財)
  • 金峯神社(きんぶじんじゃ) - 祭神:天照大御神。末社。

文化財

重要文化財

  • 本殿 3棟 - 中殿、左殿、右殿からなる。

国登録有形文化財

  • 宝庫
  • 南木神社本殿
  • 南木神社拝殿及び幣殿
  • 南木神社築地塀

千早赤阪村指定有形文化財

  • 建水分神社の延元5年扁額

千早赤阪村指定有形民俗文化財

  • 建水分神社の木造狛犬群 8体

例祭

  • 4月25日:春祭 - この日は楠木正成の誕生日とされていることから春祭は俗称「くすのきさん」と呼ばれている。
  • 10月第三土曜日:秋祭 - 御旅所にて御神輿を中心に19台の地車が集まる風景は、河内随一といわれる。各地車には舞台が付いており(石川型だんじり)そこで上方芸能の原点ともいわれる「河内にわか」が奉納される。

その他

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