延信王とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 学問 > 世界宗教用語 > 延信王の意味・解説 

延信王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 06:28 UTC 版)

 
源 延信
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
改名 延信王(皇族時代) → 源 延信
官位 従四位上神祇伯
主君 後一条天皇後朱雀天皇後冷泉天皇
氏族 朝臣花山源氏? → 冷泉源氏?)
父母 父:清仁親王、母:源頼房
兄弟 延信、延清王、兼文王、永子女王、信子女王、寛意の母
四条宮筑前(高階成順(乗蓮)の娘)
康資王
特記
事項
白川伯王家の始祖。
テンプレートを表示

延信王(のぶざねおう、生没年不詳)は、平安時代中期皇族貴族花山天皇弾正尹清仁親王の子。白川伯王家の祖。官位従四位上神祇伯

経歴

後一条朝万寿2年(1025年)正月に二世王の蔭位により従四位下に直叙され、同年12月に父・清仁親王の奏請により朝臣姓を与えられて臣籍降下している。正月の叙位に関して、「安和御後」つまり冷泉天皇の皇孫として叙位を受けていることから、源朝臣賜姓も「安和御後」としてのものと想定されるとして、延信を花山源氏ではなく冷泉源氏とする見方がある[1]。翌万寿3年(1026年侍従任官する。

その後、従四位上弾正大弼に叙任され、後冷泉朝初頭の寛徳3年(1045年神祇伯に任ぜられた。

子息の康資王も神祇伯の官職を継承する。古来より、神祇伯は中臣氏の氏人が務める例が多かったが、平安時代末期永万元年(1165年)延信の曾孫・顕広王が任ぜられて以降、この家系世襲するようになった。そこで、この家系を伯家(白川伯王家)と呼ぶようになり、延信王はその祖と仰がれた[2]

官歴

系譜

尊卑分脈』による。

脚注

  1. ^ a b 赤坂恒明 2015, p. 37.
  2. ^ 『朝日日本歴史人物事典』
  3. ^ 廣橋家旧蔵記録文書典籍類H63-409『後法性寺殿御抄』「雑々例」
  4. ^ a b c 『賜姓例並褰帳女王』賜姓例「延信王」(宮内庁書陵部所蔵)
  5. ^ 尊卑分脈

参考文献



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「延信王」の関連用語

延信王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



延信王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
中経出版中経出版
Copyright (C) 2025 Chukei Publishing Company. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの延信王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS