六角家
六角家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 15:33 UTC 版)
六角 朝純(ろっかく ともずみ) 高家肝煎旗本。四位少将。総兵衛が土屋家の“影”と決別した後に現れ、影旗本としての任が続く事を告げる。 娘は能勢家に嫁入りした結佳。
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六角家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 17:58 UTC 版)
六角承禎 姓と相容れない容貌(五角形の顔)の殿。その容貌のせいで藤吉郎に「よくも人のボケ殺しやがったな」と逆恨みをされる。「コラァ」が口癖。織田信長の上洛には反抗しているが、その結末はわずか一コマで説明されている。地獄耳で、絶対に聞こえるはずのない織田家における会話が聞こえる。 7巻では名前通り六角形の顔になって再び登場。腕利きの狙撃手を使って信長の命を狙うが(信長の狙撃を目論んだ人物に関しては、六角氏のほか諸説ある)、失敗する。以前の容貌にコンプレックスを抱いているため、「不覚(二角)」など、「六角」以外の多角形を連想させる言葉に異常に敏感に反応し、その都度声を荒らげる。しかし、「発覚(八角)」のように六角形より多い場合はその限りではない。 蒲生賢秀 蒲生氏郷の父親。六角承禎没落後は信長に仕え息子の氏郷を人質に出したが、必要以上におどろおどろしい息子のことを心配している。史実では愚直なまでの頑固さで知られた人物ではあるが、作中では取り立てて特徴が無いキャラクターである。 平井定武の娘 9巻のおまけマンガにのみ登場した美少女。本名不明。浅井家が六角家に従属したため、賢政(長政)に嫁ぐ。冗談を言って人をからかうのが好きで、賢政に対してもそうして面白がっていた。しかし、嘘という形で告げた「私は国元に好きな人がいて、その人をどうしても忘れることができない」という言葉が本音であると賢政に見抜かれ、追い返される形で実家に戻ることとなった。
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六角家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 16:58 UTC 版)
敗北した六角家では動揺が激しかった。この合戦から3年後には観音寺騒動が起きて承禎・義治父子は居城の観音寺城を追われた。重臣の蒲生定秀の尽力により復帰を果たすが六角家の衰退は明白で、合戦から8年後に織田信長の上洛を阻もうとして抗戦し、それにより信長に滅ぼされることになる(観音寺城の戦い)。
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六角家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 12:06 UTC 版)
藤原北家日野流。公家烏丸光広の次男六角広賢を初代とする。徳川家綱に召し出される。2000石。広賢から広治・広豊・広満(実父は日野資鋪)・広雄(実父は大沢定時)・広孝と続いた。二代目の広治は元禄9年(1696年)7月10日、不行跡により表高家を解かれて逼塞を命じられ、元禄10年(1697年)4月23日には蟄居隠居となる。遊廓での度重なる失態や乱行が問題視され、将軍綱吉の母桂昌院の一族(児玉党系本庄氏)に繋がる縁戚であったため、「武士としてあるまじき醜態」として処分されたといわれる。「英一蝶#島流しに至る経緯」の項を参照。
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