裏松家
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裏松家(うらまつけ)は、藤原北家日野家流烏丸庶流の公家・華族である。公家としての家格は名家、華族としての家格は子爵家[1]。
注釈
出典
- ^ a b 小田部雄次 2006, p. 329.
- ^ 裏松とは - コトバンク および 裏松家とは - コトバンク より。烏丸家の初代烏丸豊光は裏松資康の実子であるため、烏丸家そのものが(室町前期の)裏松家の分家筋と言える。
- ^ 以上日野有光の項を参照のこと。
- ^ この他宗子の妹・重子が、姉と離縁した足利義教の側室となって義勝・義政を産んでおり、勝光の妹・富子が義政、良子が義視(義政の異母弟)の正室となって、各々義尚、義稙を産んでいる。
- ^ 日野勝光 - コトバンク より。
- ^ 橋本政宣編『公家事典』吉川弘文館、2010年、「日野家」P412
- ^ 公卿類別譜(公家の歴史)裏松
- ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
- ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
- ^ 裏松家(名家)
- ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 257.
- ^ 烏丸光栄の五男
- ^ 四辻実長の次男
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