裏松恭光とは? わかりやすく解説

裏松恭光

読み方うらまつ ゆきみつ

江戸後期公卿裏松光世の子光世の跡は養子謙光が嗣ぎ、恭光は謙光の子明光の嗣となる。本姓藤原中納言従二位安政大獄事件により処分を受ける。明治5年1872)歿、73才。

裏松恭光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/23 01:19 UTC 版)

 
裏松恭光
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 寛政12年6月16日[1]1800年8月6日
死没 明治5年2月9日[1]1872年3月17日
官位 従三位権大納言
主君 光格天皇仁孝天皇孝明天皇明治天皇
氏族 裏松家
父母 父:裏松光世、養父:裏松明光
兄弟 恭光、直子、周子
養兄弟:謙光
藤波庸子(藤波寛忠の娘)
勲光勘解由小路資生
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裏松 恭光(うらまつ ゆきみつ)は、江戸時代後期の公卿。裏松明光の養子[2]官位従三位権大納言

経歴

山城国京都裏松光世の子として誕生。裏松明光の養子となる。

文化3年(1806年)に光格天皇御児[3]として内廷に勤務し[2]天保3年(1832年蔵人[2]嘉永4年(1851年)従三位[2]安政2年(1855年)参議[2]と昇進を進める。安政4年(1857年議奏に就任し、翌年の条約勅許問題に関与した[2]

安政6年(1859年権中納言となるも、万延元年(1860年)辞職[2]慶応3年(1867年)、孝明天皇より御児・蔵人・議奏として幼少から3代の天皇に仕えた功績に対する「御憐愍」により[3]、権大納言に就任[2]

系譜

脚注

  1. ^ a b c d 『平成新修旧華族家系大成』上巻、260頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『明治維新人名辞典』161頁。
  3. ^ a b 林大樹『天皇近臣と近世の朝廷』(吉川弘文館、2021年) P97.
  4. ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、428頁。

参考文献




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