高倉永孝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 01:35 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
生誕 | 永禄3年(1560年) |
死没 | 慶長12年4月11日(1607年6月5日) |
官位 | 正三位、権大納言 |
主君 | 正親町天皇→後陽成天皇 |
氏族 | 高倉家 |
父母 | 父:高倉永相、母:佛光寺法印の娘 |
兄弟 | 永孝、貞増、光澤、亮賢、女(正親町天皇勾当内侍)、女(後陽成天皇勾当内侍)、女(水無瀬氏成室)、女 |
妻 | 三条西実枝の娘 |
子 | 永慶、白川雅陳王、織田左京大夫室、女子 |
高倉 永孝(たかくら ながたか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての公卿。権大納言・高倉永相の子。官位は正三位・権大納言。高倉家9代。
生涯
永禄11年(1568年)10月、織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、足利義栄派の公家は朝廷を追われ、永孝は父・永相と共に大坂寺内町へ下向した[1]。
天正4年(1576年)5月2日、父・永相やほかの公家とともに、妙覚寺に滞在中の織田信長のもとを訪れた[2]。
官歴
『公卿補任』による
- 永禄5年(1562年) 正月5日:叙爵(従五位下)
- 永禄11年(1568年) 2月8日:元服昇殿、侍従
- 元亀元年(1570年) 12月29日:従五位上
- 天正2年(1574年) 正月5日:正五位下。2月3日:右衛門佐
- 天正5年(1577年) 正月5日:従四位下、佐如元
- 天正9年(1581年) 正月6日:従四位上
- 天正11年(1583年) 正月6日:正四位下。日時不明:右衛門督
- 天正14年(1586年) 12月24日:従三位、非参議、右衛門督如元
- 文禄3年(1594年) 7月26日:参議
- 慶長3年(1598年) 正月5日:正三位
- 慶長11年(1606年) 正月11日:権中納言
- 慶長12年(1607年) 4月11日:薨去(享年48)
系譜
『系図纂要』による
脚注
参考文献
関連項目
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