唐との会盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 16:30 UTC 版)
唐朝は吐蕃の勢力を押さえるため、南詔を吐蕃から引き離す工作を進め、時の南詔王・異牟尋は793年、帰唐の意を伝えた。翌年、唐の使者が南詔の都に到来し、洱海のほとり蒼山で会盟の儀式が行われた。当時、吐蕃は北方のウイグルとの戦いの最中であったので、異牟尋は吐蕃の神川都督府(現・雲南省麗江)を攻撃して占領した。これによって南詔と唐の関係は強固となり、南詔は成都に子弟を留学させるようになった。
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