白峯
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白峯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 10:23 UTC 版)
諸国を巡る西行の道行文から、「白峯」は始まる。この部分は、当時西行作と信じられていた『撰集抄』巻一「新院御墓白峰之事」と巻二「花林院永僧正之事」が下敷きになっている。西行は旧主である崇徳院の菩提を弔おうと白峯を訪れ、読経し、歌を詠む。「松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり」。すると、「圓位、圓位」と西行のことを呼ぶ声がする。見ると、異様だが判然としがたい人影がこちらを向いて立っていて、「松山の浪にながれてこし船のやがてむなしくなりにけるかな」と返歌した。その内容から西行は、声の主が崇徳院であることに気づいた。 西行は、崇徳院が成仏せずに怨霊となっていることを諌めた。ここから西行と院の論争が始まる。西行は『日本書紀』「仁徳紀」にある大鷦鷯の王、菟道稚郎子の皇位相譲の話を例に出して王道の観点から、院は易姓革命論から、それぞれ論をぶつけあう。次に、西行は、易姓革命を唱えた『孟子』が日本に伝わらなかったこと、『詩経』「小雅」の一篇「兄弟牆(うち)に鬩(せめ)ぐとも外の侮りを禦(ふせ)げよ」という一節を説き、ついに院の、私怨がゆえである、との本音を引き出すことに成功する。院は、「経沈め」の一件の後、保元の乱で敵方に回った者たちを深く恨み、平治の乱がおこるように操ったのだ、という。そして、大風がおき、ここで初めて院の、異形の姿が顕わになる。また、配下の天狗、相模がやってくる。そして、院は、平氏の滅亡を予言する。西行は、院の浅ましい姿を嘆き、一首の歌を詠む。「よしや君昔の玉の床(とこ)とてもかからんのちは何にかはせん」。すると、院の顔が穏やかになったように見え、段々と姿が薄くなり、そして消えていった。いつのまにか月が傾き、朝が近くなっている。西行は金剛経一巻を供養し、山を下りた。その後、西行は、このできごとを誰にも話すことはなかった。世の中は、院の予言通りに進んでいった。院の墓は整えられ、御霊として崇め奉られるようになった。
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