広幡基豊とは? わかりやすく解説

広幡基豊


広幡基豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/10 15:43 UTC 版)

 
広幡基豊
時代 江戸時代後期
生誕 寛政12年4月22日1800年5月15日
死没 安政4年5月29日1857年6月20日
官位 従一位内大臣
主君 光格天皇仁孝天皇孝明天皇
氏族 広幡家
父母 父:広幡経豊、母:日野資矩の娘
兄弟 基豊、園池実達室、唐橋在経室
鷹司皐子(鷹司政煕の娘)
忠礼、経家、豊子、牧子、鋭姫、輝子、繁子
テンプレートを表示

広幡 基豊(ひろはた もととよ)は、江戸時代後期の公卿。官位は従一位内大臣

歴代当主同様、近衛家猶子になったと思われ、慣例により近衛基前から偏諱の授与を受けて基豊と名乗った。

生涯

享和2年(1802年)に叙爵。清華家当主として速いスピードで昇進し、文化10年(1813年)には従三位となり、公卿に列する。その後も権中納言踏歌節会外弁・権大納言・踏歌節会内弁などを務め、弘化4年(1847年)に皇太后となった鷹司祺子皇太后宮大夫となる。嘉永2年(1849年)に右近衛大将右馬寮御監となる。安政2年(1855年)の孝明天皇の遷幸に際して、基豊は居飼2名、随身6名、見寺2名、舎人長1名、馬副8名、傘1名の計20名を集めて天皇に供奉した。安政4年(1857年)に従一位内大臣となるも同年に薨去。

系譜

関連項目

先代
広幡経豊
広幡家
第10代
次代
広幡忠礼



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「広幡基豊」の関連用語

広幡基豊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



広幡基豊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの広幡基豊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS