大炊御門経光とは? わかりやすく解説

大炊御門経光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/07 22:49 UTC 版)

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大炊御門経光
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永15年8月8日1638年9月15日
死没 宝永元年9月6日1704年10月4日
別名 号:後香隆寺
官位 従一位左大臣
主君 後光明天皇後西天皇霊元天皇東山天皇
氏族 大炊御門家
父母 父:大炊御門経孝、母:家女房
兄弟 経光、頼兼、諏訪忠晴養女、大久保忠高継室、花山院定誠正室
正室:細川立孝の娘
内藤義竜、鷲尾隆長室
養子:信名
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大炊御門 経光(おおいのみかど つねみつ)は、江戸時代前期から中期にかけての公卿左大臣大炊御門経孝の子。官位従一位・左大臣。大炊御門家20代当主。主に後光明天皇(110代)・後西天皇(111代)・霊元天皇(112代)・東山天皇(113代)に仕えた。

経歴

正保2年(1645年)に叙爵。以降累進し、万治2年(1659年従三位に叙され公卿に列した。万治3年(1660年)に権中納言寛文3年(1663年)に正三位権大納言・神宮伝奏となる。寛文4年(1664年)には踏歌節会外弁。延宝3年(1675年)には右近衛大将となり、延宝6年(1678年)まで在職。

延宝5年(1677年)には内大臣となり、天和元年(1681年)まで在職した。延宝8年(1680年)には踏歌節会内弁。元禄3年(1690年)右大臣に任じられるが、翌年辞職。元禄5年(1692年)には従一位に昇進。宝永元年(1704年)には左大臣になるもすぐに辞職した。

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