大炊御門冬信とは? わかりやすく解説

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大炊御門冬信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 15:54 UTC 版)

 
大炊御門冬信
時代 南北朝時代
生誕 延慶2年(1309年
死没 観応元年/正平5年6月28日1350年8月1日
別名 随心自由院
官位 従一位内大臣
主君 後醍醐天皇光厳天皇光明天皇崇光天皇
氏族 大炊御門家
父母 父:大炊御門冬氏、母:吉田経長の娘
兄弟 氏忠冬信家信、覚信
西園寺実衡の娘
信忠、宗実冬宗
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大炊御門 冬信(おおいのみかど ふゆのぶ)は、南北朝時代公卿内大臣大炊御門冬氏の子。官位従一位・内大臣。大炊御門家10代当主。

経歴

正中2年(1325年)は、正四位下に叙爵してから累進し、嘉暦元年(1326年)には従三位となり公卿に達する。元徳元年(1329年春宮大夫となるも、元弘元年(1331年)には辞職し、同年権大納言に転じる。正慶元年/元弘2年(1332年)に正二位に進むも、翌年には従二位に戻され、再び権中納言に就任した。

建武2年(1335年)には再び正二位に昇った。建武4年/延元2年(1337年)に権大納言に任じられ、暦応元年/延元3年(1338年)に再度春宮大夫となるも翌年辞す。康永2年/興国4年(1343年左近衛大将大納言となり、貞和元年/興国6年(1345年)には内大臣となるも翌年には辞職。貞和5年/正平4年(1349年)には従一位となった。観応元年/正平5年(1350年)に薨去。享年42。

系譜




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