藤原貴子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/24 02:59 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動藤原 貴子(ふじわら の きし/たかこ)、延喜4年(904年) - 応和2年10月18日(962年11月17日))は、平安時代中期の女性。関白太政大臣藤原忠平の長女。醍醐天皇皇太子保明親王の妃。のち御匣殿別当となり、さらに尚侍に任官。贈従一位。中将御息所、小一条内侍。
生涯
延喜18年(918年)4月、東宮保明親王に入内し御息所となる。延喜23年(923年)3月、保明親王薨去。その後、御匣殿別当となって宮中に入り、延長9年(931年)4月26日、飛香舎に移った。天慶元年(938年)11月14日、尚侍に任じられ、同年12月従三位に叙される。天慶8年(935年)1月正三位、天暦5年(951年)1月従二位。応和2年(962年)10月18日、59歳で薨去。同月30日、貞節篤孝により従一位(正一位とも)を贈られた。
参考文献
藤原貴子(ふじわら の たかこ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 00:57 UTC 版)
「姫のためなら死ねる」の記事における「藤原貴子(ふじわら の たかこ)」の解説
定子の母。30歳くらい。前髪パッツンと妖艶な目元が特徴的な美女。掴み所のない飄々とした性格で、その場の思い付きで周囲の人間を巻き込んだ騒動を起こして楽しんでいる。お気に入りの女房である弁官にたびたびちょっかいをかけて困らせている。定子と清少納言の関係を見守っており、定子から相談を持ちかけられると、持ち前の茶目っ気を出しつつも、的を射た意見で娘を導いている。
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