任命された例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/31 14:53 UTC 版)
「御匣殿別当」の称号が確認できる所見は、重明親王の日記『吏部王記』の承平元年(931年)4月26日条に見える、藤原貴子である。藤原貴子は関白藤原忠平の娘で、早世した東宮保明親王の妃であった。天慶元年(938年)、尚侍となる。ただし、『尊卑文脈』には藤原定方の娘・欣子が「大后宮御匣殿」であったとしている。 藤原超子(藤原兼家女)は、安和元年(968年)、御匣殿別当として冷泉天皇に入内し、同年12月女御となった。女御になった際に兼家は蔵人頭であり、公卿の娘でなく女御となった初例とされている。三条天皇の生母。贈皇太后。藤原尊子 (藤原道兼女)も御匣殿別当として長徳4年(998年)一条天皇に入内し、長保2年(1000年)女御となった。入内の頃、父の道兼はすでに没しており、また母の繁子は一条天皇の乳母であったが道兼の正妻ではなかった。 また、藤原道隆の娘のうち、次女・原子は「内御匣殿」と称され、三条天皇の東宮妃となった。四女も「御匣殿」と称され、姉の皇后定子の遺児の母代りとなり一条天皇の寵を受けた。三条天皇の東宮妃・尚侍綏子の異父妹で、道隆の娘であった女性は「宮の御匣殿」と称され、東宮の御匣殿別当となった。 藤原道長の女・藤原威子は、長和元年(1012年)尚侍に補任された後、寛仁元年(1017年)御匣殿別当を兼ねた。同2年(1018年)後一条天皇に入内し、女御、中宮となった。御匣殿別当から中宮となった例である。藤原道長の孫で、教通の長女・藤原生子は、威子の後に補任され、寛仁2年、わずか数え5歳で御匣殿別当となった。後に26歳で後朱雀天皇に入内し、女御となった。
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